第一回 日本の人事の転換点1 1998年 (前後2年)

私は、1998年より、毎日のように日本企業の人事部門の部長やマネジャーに会ってきた。毎年300人以上。昨年2008年は、450社に訪問して話を聞いた。その時々の面談でのメモが書かれたノートはかなりの量になっている。

人事が、財務偏重理論に基づいて活動をはじめた

1997年、日本の企業にとって大きな事件が起こった。山一證券の自主廃業と、北海道拓殖銀行の経営破綻だ。このことは、1992年に崩壊したバブル崩壊の影響が、長い歴史を誇る日本の大企業であっても必ずしも逃げ切れるものではないことを決定的に知らしめることとなった。

それまでの日本の大企業は、売上至上主義だった。売上が上がっていれば、多少の赤字部門や子会社があっても容認してきた。規模の論理の方を重視していたのだ。しかし、実際に大企業の倒産を目の当たりにして、急速に利益至上主義に傾いていく。そして、やがて国際会計基準や連結決算の導入などを機会に財務的論理が、強い力を持ち始める。

利益至上主義の元では、赤字部門・子会社を抱え続けていくことはNGだ。当然、撤退、となるわけだが、そこにいる人は、簡単に辞めていただくことはできない。

そこで、人事は、「早期退職制度」を立ち上げ、「アウトプレースメント」活動に従事するようになった。「リストラ」という言葉が盛んに使われ始めたのもこの時期だ。

この時期、並行して、「成果主義」の導入も多くの企業で進められた。

1998年は、団塊の世代が、50歳を超え始めた時期だ。長年運用してきた職能資格制度をそのまま続けていたら、人件費がどんどん膨らんでいく。そこに現れたのが、「成果主義」だった。経営はその「魔法のつえ」に飛びついた。

そして、人事にできるだけ早く制度を進めることを指示する。導入が1年遅れれば、それだけ人件費が利益を圧迫する。人事は「待ったなし」の状況で、その導入に邁進していくことになる。

こうして、80年代までは粛々と職能資格制度を運用してきた人事は、財務的論理偏重の活動をすることを余儀なくされたのだ。

この頃の人事部の人たちとの会話を思い出すと、経営者の言われるがままに働いている、という感じだった。経営から、利益のためだ、キャッシュフローのためだと言われて、個々の施策の人事的意味を咀嚼することなく、どんどん導入してしまった。そのせいだろうか、人事部長クラスは、社員の権利や立場、感情などを無視して、社長に言われたことによって持った意志を押し付けるような人が多かった。

それまでは、労務担当の色合いが濃く、会社のレスキュー隊的な位置づけだった人事という部門が、急激に財務的な要請で動き始めたのが、この時期ということだ。労働分配率は1998年から右肩下がりである。これは、こうした人事の活動の変化と無関係ではないだろう。

そして、この傾向は、多くの企業で大きくは変わっていないと思っている。

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