第109回 今のプレーは本当に素晴らしかったのだろうか?


先日、ラグビーの試合をテレビで観戦していたときのことです。ベテランらしい声のアナウンサーが上手
な抑揚をつけて「今のは素晴らしいプレーですねー」と言いました。解説者もいたのですが、それについ
てのコメントはありません。そのとき、ふっと思いました。

<今のプレーは、本当に素晴らしいプレーだったんだろうか>

対象となったプレーの瞬間を見逃してしまったのですが、アナウンサーのコメントを聞いた瞬間、無条件
に「ああ、あの選手は素晴らしいプレーをしたんだ」と疑いもなく信じた自分を発見したからです。その後
もそのアナウンサーは、その選手の名前を何度も口にし、事ある毎にその素晴らしさを称えます。
私の記憶の中には、「素晴らしい選手」として彼の名前が残りました。

後で対象のプレーを見直しましたが、プレー自体も全体の流れの中でも、確かに素晴らしいプレー
でした。そのアナウンサーはラグビー中継のベテランで、その選手は誰からも高い評価を受けている人
でしたので、私の記憶に残ったことは間違いではないと思います。

しかし、もしこれが、実はそれほどラグビーのことを知らないアナンサーで、一部の人から聞いた情報を
基に「その選手のプレーは素晴らしいはず」という推測の下で発言をしていたとしたら。そしてそれを聴く
側もルールや試合の流れが分かっていなかったとしたら。その人の記憶にはバイアスのかかったもの
が残り続けることになるでしょう。

改めて、評判というのは恐ろしいものだな、と思いました。



以前働いていた会社で、「営業で大変活躍している」と評判の新入社員がいました。私は別の部署に
いたので、「そういう人もいるんだ」と少し焦った記憶だけが残っています。数年後、その営業部の人と
仕事をする機会があり、彼のことを聞いてみました。するとなんと既に辞めているとのこと。最初は
トントンと受注をしたけれど、その後パタっと受注が止まり、その時には高い期待と目標があったので
かなり苦しい状態になったとか。

もちろん、退職した本当の理由は知る由もありませんが、一度評価や期待が高まった後、普通の社員
程度の働きをしたとしても、「やっぱりダメだったのか」と必要以上にネガティブな評価をされてしまった
可能性は低くないと思います。

また、会社にいたときには正直それほど周囲から評価されていなかった人が、5年後に会ってみると
他の領域での第一人者になっていた、ということもありました。その人の会社の先輩だと言ったら、
何人もの人に「会社にいたときにはどんな方だったんですか?」と聞かれて、自分の見る目のなさを
突きつけられる思いをしたものです。



人事の方や組織を束ねている方々が評価の難しさを口にすることは少なくありません。何を評価するの
か、どの視点から評価するのか、時間軸をどこに取るのか、誰が評価するのか。そしてそもそも、その人
はそのポジションにいることが最適なのか。場所や環境を変えることで見えてくる風景が変わってくるの
ではないか。


人の評価をする時の意識はもちろんですが、誰かの評判を聞いたとき、それを受け取る者としても、
意識も広く持っている必要があると改めて肝に銘じた次第です。


(2012年3月22日)



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