第123回 10月の声って、どういう声ですか?
「9月の声を聞いて、朝晩は凌ぎやすくなりましたね」といった挨拶を聞くと、思い出すことがあります。
大学生の頃、家庭教師のアルバイトをしていました。10月に入って初めての授業で、「10月の声を聞くと、涼しくなるね」と、何気なく言ったときのことです。中学生だった男の子は、きょとんとした顔をして、「10月の声って、どういう声ですか?」と聞いてきました。今度は私がきょとんとする番でした。
以前はこの話を、子供の頃いろいろな言葉に触れる環境に身をおいてないと、思いがけないほど狭い範囲の言葉で生きていくことになってしまう、という文脈で捉えていました。私自身、この表現をいつどうやって覚えたかなんて、思い出せませんでしたから。
しかし最近、久しぶりにこのことを思い出したとき、ちょっと違った感覚もわき上がってきました。それは、「決まり文句」「広く知られている言葉・表現」が自由な思考を妨げてはいないだろうか、というものです。
10代のとき、よい文章を書きたいと思って、プロにアドバイスをもらったことがあります。そのとき、「昔を思い出している様子を書こうするときに『走馬灯のように』は使うな」と言われました。
本当に走馬灯を見たことがあるのか。あったとしても、その実物と自分が昔を思い出している感覚が一致しているのか。そうしたことに鈍感になってはいけないということです。幼い頃、「走馬灯のように思い出が頭を巡った」といった文章を書くことができて、とても大人になったような気分になったことがあったので、このアドバイスはとても印象に残るものでした。
「10月の声を聞く」という表現は、私にとっては美しく響く表現で、今も時をみて使っています。ただ、よく考えれば、9月30日と10月1日の間で、実際に何かが劇的に変わることはありません。月替わりではなく、自分なりに変化を感じるきっかけがあるはずです。その微妙な感覚を追いかける行為を、「10月の声を聞く」という言葉ひとつで、ストップさせてはいないだろうか・・・。
「決まり文句」「広く知られている言葉・表現」は、社会人としての成熟度を測るリトマス試験紙のような側面と、新しい価値を生み出そうとするときの足かせになる側面があることを常に意識していたい、と思った次第です。
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最近、本業の世界では(人材マネジメントシステムの営業・マーケティング・広報です)、「タレントマネジメント」という言葉がたいへん流行っていますそもそも「タレントマネジメント」とは何なのか。それをサポートするためのシステムには何が必要なのか、考えさせられる毎日です。
そのため、言葉の発祥元である欧米での定義を調べ、自分なりに咀嚼・納得し、関係者と意識合わせをしています。これは重要なステップだと考えています。
しかし、そのことを以て分かった気になってしまうと、実際に自社に適用しようとしたときに思考が停止してしまい、うまくいかない危険性がある。
システムを作るという面では、机上の空論のような機能を作ってしまうリスクがある。
そのことに自覚的である必要があると、「9月の声を聞いて」改めて考えさせられました。
(2013年9月12日)