第129回 「世界文学は日本文学たりうるか」に思う
今回紹介した書籍『仕事に効く教養としての「世界史」』の中で、ひとつの国の歴史だけを取り出して語ることはできず、人間の歴史として5000年史がひとつ存在すると言えるのではないか、とくだりを読んだとき、小説家の大江健三郎氏の、「世界文学は日本文学たりうるか」という講演のことを思い出しました。
氏のノーベル賞受賞直後のことですから、20年も前のことになります。当初、賞の受賞を想定せずに原稿を準備していたところ、受賞が決定してしまい、内容を少し変更することになったという講演でした。「日本文学は世界文学にたりうるか」ではなく、「世界文学は日本文学たりうるか」という問題提起の立て方が、当時、大学院で比較文化を学んでいる仲間の間で話題になったものです。
この講演で大江氏は、日本文学を3つに分けています。
第一の日本文学は、世界から孤立 しているものです。東西ヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカからも切り離れているのはもちろん、アジアからも孤立した存在であるといいます。それを代表するのは、谷崎潤 一郎、川端康成 、三島由紀夫などです。
第二のラインは、世界の文学から学んだ作家の文学です。 フランス文学やドイツ文学、英文学、ロシア文学から学んだ上で独自の経験に立って作られた文学で、できることならば、その文学を世界文学に向かってフィードバック したい。そのように願っている作家たちの文学。それを代表するのは、大岡昇平・安部公房、そして大江健三郎(本人)などです。
第三のラインは、村上春樹 、吉本ばななラインです。世界全体のサブカルチャーが一つにな った時代の文学です。ここに入るのは、そのまま村上春樹と吉本ばなな二人だと言います(1994年当時)。
こう分類した上で、第一のラインからは、ノーベル賞作家が出ているし(川端)、三島由紀夫は劇作家として世界に受けられている。第三のラインは、世界各国で翻訳本が出回り、文化・国境を越えて多くの読者に受け入れられている。しかし、第二の文学は、国内外に大きく受け入れられることなく、第一と第三の文学の間に落ち込んでしまっている。そのうち、自分の作品などは、テオティワカン(7世紀に滅亡したメキシコの古代文明の都市)のピラミッドのような存在としてしか記憶されないのではないか、と懸念します。
この話を講演のスタートにする予定だったところ、ノーベル賞の受賞が決まり(=国際的な認知を得た)、講演内容を修正することになった、ということですが。。
本当に久しぶりに講演録を読んで、今の日本社会を牽引している世代と、第二のラインと呼ばれた文学の状況が重なってみえました。
大江氏は、講演の後半で、「世界文学」の定義について考え、「世界言語」を夢見ます。この点について、多くを語るだけの知見と紙幅を持ち合わせていないので、是非、原文に触れてみていただきたいと思いますが、そこにはどうしても、ひとつの価値観の線上に並び、先進する「世界」(おそらく主に西欧)と遅れを取る「日本」という序列が固定化されてしまっている(ように見える)関係から逃れられず、もがいている姿を感じずにはいられなかったのです。
20年前、この講演が行われた直後、大学院での恩師が、暗黙知とも言える固有の文化に対する態度を厳しく批判し、院生の間でも多くの議論を交わしました。
議論のなかで、氏の言う「世界言語」という考え方に一番批判的だった仲間は、修了後しばらく海外を放浪し、帰国後はアルバイトをして暮らしていたようです。数年後、久しぶりに再会したときには、何と、アメリカ企業の日本の支社長になっていました。面白いことに、その企業のCEOは、日本の禅の考え方に大きく影響を受けていて、環境問題に配慮しながらビジネスを行い、世界各国で受け入れられています。
言葉や文化を超えて、人が協働していくとはどういうことなのか、もしその媒介役を考えるとしたら、どういうものになるのか、改めて考えてみたいと思わされました。
講演の原文は、Web検索で「世界文学は日本文学たりうるか?」と入れると出てくると思います。一度、日本を代表するといわれる作家の20年前の声に触れてみてください。グローバル化の波にどう向かっていくのかの、ヒントになるかもしれません。
(2014年5月8日)