第130回 わからないということがわからなくなる


朝の連続ドラマの主題歌で、一か所どうしても聞き取れない部分がありました。メロディの区切りと、日本語の区切りがずれていて、聞こえてくる音と自分が知っている言葉が一致しなかったのです。最初は聞き流していましたが、やはり気になる。聞き取れる一つ一つの音を並べて、意味のある文章にする努力を続けました。(Webサイトなどで調べる方法もありましたが、何故か、自分で聞き取れるようになりたいと思ってしまったのです)

数日間、ああでもない、こうでもないと頭をひねっていたところ、ある瞬間に、何を歌っているのかがわかりました。「パチン」という感じです。

それで、すっきりしたわけですが、今度は、意味のない音がのったメロディとして聞こうと思っても、言葉の意味が頭に入ってきてしまって、以前のように聞くことは、どんなに努力してもできなくなりました。

そういえば、だまし絵として見せられた絵の構造がわかってしまって、もう二度と「これはなんだろう?」と、様々な想像を自由に広げることができなくなった経験もあります。

わかる、ということは、わからないということがわからなくなることでもあるのだ、と改めて気がつきました。

そんなことを考えているとき、「熟達者」について、こんな解説を目にしました。

「熟達者は、知覚情報の処理をするときに、その時々の環境に存在するすべての情報を一度に取り込み、すべてを並行して処理しているわけではない。むしろ、初心者よりも情報を絞り込んで取り込み、必要な情報だけを処理しているのである。そのときに、どの情報が必要で、どの情報が必要でないかを瞬時に見極め、必要な情報にだけ目を向けることができる。それが熟達者の特徴なのだ」(『ことばと思考』より。)

多くの言葉や概念を自分のものにし、様々な経験を積み重ねていくことで、人は「進歩」「前進」することができる(少なくともそう感じる)。しかしそれは、見方を変えれば、「無駄」とか「非合理的」であると判断したものを、無意識に排除してしまうようになる、とも言えます。

技術の発達やグローバル化の進行で、接する世界や価値観が格段に広がっています。ビジネスの世界では、これまでの延長線上ではない、新しいイノベーションが求められています。これまで「無駄」だとか「非合理」だと軽視していたことが、宝を生み出す可能性があるのです。

だからといって、「わかる」ことを増やしていくことを否定するのは、ナンセンスです。何かを獲得していくことで、無駄や非合理に目を向けられなくなるのは、言ってみれば「前向きな欠落」。そのことを謙虚に受け止め、それを補う強力な武器として「多様性」を受け入れていくことが肝要なのだと思います。

多様性は、その分野に関わる時間の長さや経験の深さという「縦軸」に展開するものもありますし、カテゴリの相違といった「横軸」に広がるものもあります。そうして展開する多様な違いにオープンになると同時に、意識的に視点を変化させることで、個人の中にも獲得したいものです。


実は、また、一か所歌詞がうまく聞き取れない歌がでてきました。このまま放置して「わからなさ」を楽しむか、わかってすっきりするか、少し悩んでいます。


(2014年6月5日)
破壊と創造の人事

無料メール講座

イベント・セミナー一覧一覧

気になるセミナー・イベント、研究室管理者が主催するセミナー・イベントを紹介します。

スペシャル企画一覧一覧

特別インタビュー、特別取材などを紹介します。

ご意見・お問い合わせ

Rosic
人材データの「一元化」「可視化」
「活用」を実現する
Rosic人材マネジメントシリーズ