第132回 流しとLet It Go


「流し」が訪れるお店に行ったときのことです。

存知だとは思いますが・・・「流し」とは、ギターなどの楽器を持って酒場などを回っている人。行く先々で、客のリクエストに応えて、歌の伴奏をしたり、自ら歌ったりします。

以前にも何回か行ったことがあるお店でしたので、「流し」が来ることは知っていました。お金を払って歌ってもらったこともあります。

その日は、店の人から、「今日は『流しの○○さん』の取材が入るので、よかったら協力して上げてくださいね」と言われました。軽い気持ちで、「私たちでよかったら、いいですよ」と答えました。

しばらくすると、見覚えのある「流し」の男性が、カメラを持った男性(カメラマン、と呼びます)が助手を連れて入ってきました。リクエストを聞かれましたから、店と流しの雰囲気に会う「懐メロ」をお願いしました。その曲が終わると、カメラマンが、「次は、アナ雪(「アナと雪の女王」)のLet it goをリクエストしてもらえますか?」と言ってきました。そして「流し」の男性に向かって、「さっきお話したように、私ら古い者はそんな歌はできないんですよ、って言ってくださいね」と言っている。「流し」の男性も納得しているようだったので、一応協力することに。しかし、「流し」の男性の回答を聞いているうちに、最初に感じた違和感が、砂を噛んだような嫌な感じとなって、胸に込み上げてきました。

と、カメラマン氏、追い打ちをかけるように、「じゃあ、今度はAKBの曲をリクエストしてみてくださーい」と言ってきました。渋めの飲み屋で、昔ながらの「流し」を前に、AKBって・・・いったい誰がそんなことを望むのか??

何も聞かずに、軽い気持ちで協力してしまった自分が嫌になり、「これ以上、やらせのようなことはしたくありません」と言い、そこまでに撮られた映像の使用許諾書へのサインをお断りして、引き取ってもらいました。

還暦など大幅に超えた年齢になっても、古い店が急速に新しい店に取って代わられる街で、昔ながらの方法で「流し」を続けている男性。あのカメラマンたちは、彼の何を表現しようと思っていたのだろうか、と考えてしまいました。

新しい曲には対応できない取り残された文化?もしくは、古い歌や大衆芸能を大事にする昔堅気の心意気?いずれにしても、少なくとも客(=対価を払う意思を持つ人)が、何を感じて彼と対峙し、何を求めているのかを、知ろうともしなかったことだけは確かです。

個人的には、私が経験できなった年月、会うこともないような人たちとの交流を経験してきた人との時間を楽しみたいという気持ちでした。だから、絶対にアナ雪とか、AKBなんて頭に浮かばない。浮かんだとしても、「最近の歌なんかはどうしてるんですか?」といった会話を楽しむはず。

ただ、こんな風に、若いカメラマンたちを、予定調和的だとか、既成概念に囚われている、面白ければ何でもいいのか、と非難することは簡単です。しかし、一歩引いて考えると、自分もそんな風に、人や物事を判断したり、お客様に提案をしたりしていないか。特に長く身を置いて、「大抵のことはわかっている」と信じている世界において。我が身をふりかえるきっかけになりました。

もしかすると、「流し」の男性は、取材を拒否した私を怨んでいるかもしれません。

目の前で起きていることを、先入観なく見ることができる姿勢。自分でないものの世界に思いをはせることができる想像力。経験を積み、深い世界を理解できるようになる努力と同時に、こうしたことを忘れないようにしたいと強く思いました。


(2014年10月16日)

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