第134回 「想像する力」「思いを致す力」
年の始めから、自らの無知を晒す話になりますが。
昨年の11月、初めて中国を訪れました。最初に降り立ったのは上海。上海といえば、海外から多くの企業が進出している国際都市というイメージが強く、ある程度は英語が通じると思い込んでいました。人気があると聞いて訪れたレストランでは、ビール一本をオーダーするのに四苦八苦。泊まったホテル(仕事だったので、ある程度以上のレベルでした)の部屋からフロントに電話をしたら、まったく英語が通じない。。。一昨年訪れたタイでは、ちょっとした英単語はいろいろな場所で使えたので、大きなショックでした。後で友人たちにその話をしたら、「そんなことも知らなかったの」と軽く言われてしまいました。
ともあれ、日本人である私は、漢字が書けます。かの地は簡体字を使っているものの、多くの字は想像できますし、同じように書くことができる。滞在中は紙とペンを手放さず、行きたいところ、欲しいものは紙に書いて、残りの時間を無事に過ごしました。そうしながら、漢字のわからない西欧の人たちはさぞかし大変だろう、などど、余計な心配をしていました。
しかし、以前英語圏の人と中国の話をしたとき、「フー・チンタオ」と言われて、一瞬誰のことを言われているのか、わからなかったことを、ふと思い出しました。話の流れから、当時の国家主席だということがわかりましたが、日本の漢字読みしかしてこなかったので、単独の単語としては認識できませんでした。今回の旅行でも、上海の後、蘇州(ソシュウ)に行くことを、日本語を解しない家人に伝えるのに、発音をWebで調べなくてはなりませんでした。
中国と日本の間では、漢字で書かれた名前や地名は、それぞれ自国での読み方で読むという相互理解があるということらしいですから、私のような状況は普通なのかもしれません。日本語以外の言葉でコミュニケーションする必要がなければ、確かに何も困ることはありません。それは漢字があるから。
ただ、見方を変えれば、漢字があるから、漢字を解しない人たちが中国語の単語を共通化しているかを知るきっかけを失っている、ということになります。もしくは、まったく言葉が通じないもの同士が意思の疎通を果たしたときの驚きと喜び、ということも。
今、自然に手にしていることがあるために、気がつけないことが身の回りには沢山あるのでしょう。それは、男性社会といわれる中で男性(もしくは女性)であること、かもしれない。毎日通う会社があること、かもしれない。スマートフォンンでいつでも友人に連絡できること、かもしれない。そして、それらを手放すことなく、それでも新しい気づきに辿り着くためのスタートが、「想像すること」「思いを致すこと」なのだろうと思います。
2015年が始まりました。今、新しい年を迎えられたことに深く感謝しながら、想像力を十分に使って、多くのことを学ぶ一年にしたいと思います。
(2015年1月13日)