第37回 強さの源としての多様性、と考えてみる

先日、NHKスペシャルで、「女と男」という特集を3回に分けて放映していました。

ご覧になった方も多いかと思いますが、これが非常に興味深く、「多様性〜ダイバシティ」を考える上でのヒントになることが満載でしたので、そのあたりを共有させていただきたいと思います。

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アメリカでは、火星への有人探索を視野に入れた準備が進んでいるそうです。

火星に行って帰ってくるとなると、限られた空間の中で長期間にわたるストレスの高い活動を強いられます。

そのような環境では、どのようなグループが良いのか、実際に疑似環境を使って、様々な組み合わせを試しているそうです。

男性だけのチーム、女性だけのチーム、性別を考慮しないチームなど、様々なケースが試みられました。

その結果は・・・「男女の混合でチームを構成するのが、一番である。」

男女(性別)は関係ない、というのではなく、男女が揃っている方が、困難な状況を乗り切っていける可能性が一番高い、という結論に至ったということです。

また、アメリカ国内の公立学校で、男女別のクラスを設けて、まったく異なる教育方法を実施するという試みが始められているそうです。

今やその導入校は500超。

その理由は、ものを学ぶ方法の好みに、明らかな性差がある、という研究が、認められたから。

男の子が勉強する方法と、女の子が勉強する方法を、明確に分けることで、それぞれにとって良い学習効果が得られるというわけです。

更に驚いたことに、アメリカの大手コンサルティングファームでは、営業先の決済権者が男性である場合と、女性である場合では、アプローチ方法を変えることが有効であると、明言しています。

実際、その認識を前提にして、相手が男性である場合と、女性である場合の担当者の取るべきふるまいを、明確な差をつけて、ロールプレイを実施していました。

性差を根拠に何かを決めることを過敏なほどに避けている、と思っていたアメリカで、こういった研究結果が受け入れられていることに驚きを隠せませんでした。

私自身がアメリカ企業で面接を担当したときに、「絶対に性別を聞いてはいけない」、としつこく指導されたのは、ほんの6、7年前のこと。

もちろん、「差別」につながることに関して、性差を問わないということは続いているのでしょうが、男性と女性には根本的な差があって、それに基づいて行動をするべきなのだ、という見解がアメリカで市民権を得始めている、ということが非常に新鮮でした。

ここで、更に興味深いと思ったのは、この「差」を認める背景に、「正義」だとか、「道徳的にあるべき姿」ではなく、その差を認めることが、「結果的に個人個人に、そしてそれら個人が集まった組織又はグループに利益をもたらすのだ」、

という考えられていることです。

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以前、ダイバシティマネジメントの研究をされている早稲田大学商学学術院の谷口真美教授が、以下のようなことをおっしゃっていたのを思い出しました。(少し長いですが、引用させていただきます。)

「ダイバーシティーマネジメントとは、よく言われるように性別や年齢、人種といった点だけではなく、もっといろいろな面で多様な人たちを活用して、組織やチームのパフォーマンスを高めることを意味します。」

「従業員に女性や外国人を増やす。そして、男性や日本人の従業員と同様に扱うことばかりに目が向くから、男女間や人種間の格差是正に取り組みが集中します。 」

「例えば、在宅勤務制度を設けて女性社員が男性社員と“同等”に働ける環境を整備するといった話が中心になる。組織やチームのパフォーマンスを高めるという本来の目的は、完全に蚊帳の外に置かれてしまっています。」

ダイバシティの実現は、企業にとって守りと位置付けられるのではなく、積極的な戦略だ、という立ち位置です。

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無農薬・無肥料での野菜栽培普及活動をしている方の話に、こんなものがありました。

現代の農業では、市場流通の便宜を考えて、できるだけ同じようなサイズの、同質の野菜が採れるように種の掛けあわせをするのだそうです。

しかし、そのような種から育った野菜から取れた二代目の種であっても、親の代のように同じサイズ、同室の野菜は収穫できないとのこと。

自然に形や品質はバラけてしまうのだそうです。

生き残っていくために植物は、必死に多様性を取り戻そうとするのです。

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私自身、オーストラリアの永住権を持って「移民」として、かの地に生活基盤の一部を持っています。

私が住んでいるメルボルンという街は、諸説ありますが 140〜180程度の異なる言語が話されているといわれる多文化社会です。

確かに、そういった環境では、居心地の悪い思いをすることもあります。(マイノリティである私の過剰反応、という面もあるかもしれませんが) 

しかし、30年以上前に「白豪主義」を捨て、多様な文化を受け入れる国となることに舵を切った国は、しなやかな底力を持っているように感じることがしばしばあります。。(主観的な発言ですが、この点について話をすると大変長くなるので、今回はこのあたりで。)

2009年は、「多様性を強さの源として扱う」という発想で、組織や働くということを考えてみたいと思っています。

皆さんは、多様性や決定的な違い、というものについて、どんな風に考えられますか?

 

今回参考にさせていただいた記事など

・ NHKスペシャル 「女と男」 (2009年1月11日、12日放送分)
・ 「日本のダイバーシティーは、間違いだらけ」 日経ビジネスオンライン 2008年10月25日
・ 「食は芸術なり」(講演録) 講演者:河名秀郎

(2009年1月23日)

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