第44回 「すっきり」に甘ったれるな

今回は、この大型連休に読んだ本から、印象に残ったことを共有させていただきたいと思います。

連休の最初の一冊に選んだのは、『一茶』(藤沢周平・文春文庫)でした。

恥ずかしい話ですが、一茶については、松尾芭蕉や与謝蕪村を並んで、江戸時代を代表する俳諧師であったということと、いくつかの有名な句を知っている程度でした。

何か藤沢周平氏の本を、と、あまり意図もなく選んだのですが、そんなわけで、心のどこかで「偉人伝」的な物語を期待していたように思います。

しかし、その「期待」は見事に裏切られます。

そこに描かれていたのは、一茶の、幸福とは言えない生い立ち、青年期から中年期の食うわ食わずの生活、俳人として認められないみじめさ、継母との遺産分割争い。。

握りこぶしを軽く上げて、「よし!」、とうなるような出来事や、彼の栄光を共有する誇らしさといったことはなく、才能を持ちながらも同時代に十分認められなかった男の人生が、淡々を語られるばかりです。

というわけでは、本を閉じたあとのすっきりした感覚はなく、しばらく一茶の人生を思い、子供の頃に習った多くの句の背景にはこのような人生があったのか、と少しづつ理解していく感じでした。

もちろん、これは小説であり、一茶の気持ちなどは筆者の解釈が多分に入っているでしょう。他の作者が描く一茶はまったく異なったものになってもおかしくありません。

しかし、読後、時間が経てば経つほど、いろいろな思いがよみがえってきて、普段は光を当てていなかった自分の感情や価値観が表面に現われてきたことは事実です。

そこで気がついたのは、この本がもし、「江戸時代の偉大な俳人」を描くことを出発点にして書かれていたら、私はすっきりした気持ちで本を閉じ、海外にも名前が知れている彼を日本人として誇らしく思って、それで終わってしまったのではないか、ということでした。

そして、日々の生活の中では、そうした態度で、物事に向かっているのではないか、と気がつきました。

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脳科学者である茂木健一郎氏が、東京大空襲を描いたテレビドラマの中の実際の大空襲を描く場面でメロディアスな曲が流れた時、違和感を覚えた、という話をしていました。

東京大空襲は大変な出来事なはずなのに、小奇麗でメロディアスな曲を流して、本来非常に暗くて重い出来事を、無毒化してしまうことに危機感を覚えたというのです。

それに対して、作家の重松清氏が、

「やるせなさとか、せつなさに耐えるのは大変なんだよね。あるいは苦さや苦しさ、割り切れなさ。・・・その本当の苦しさを引き受けなければいけないのに、それに耐えられないから、音楽を流すことで、悲しさにすべてを落とし込む。小説でも、読者が宙吊りにされて終わるようなもの、あるいは、読者に居心地の悪さを感じさせて終わるものがどんどん減っている」

と応えていました。

居心地の悪さは、おそらく、自分の期待している範囲、理解できる範囲を超えたときに起こってくる感情ではないかと思います。それに向き合うのは全然気持ちがよくない。地面にしっかり立てていないような不安感がある。

でも、それが何なのかを考えてみることによって、これまで考えもしなかったことに気がつくことができる。

確かに、私たち(少なくとも私)は、「すっきり」「わかりやすい」ということを求めすぎて、そういった状況を回避しすぎてしまっているのではないか、と考えさせられました。

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音楽家の坂本龍一氏が、ある大学で講演をしたときのこと。

学生から「自分たちを元気づけてくれ」「モチベーションを上げるための言葉を聞きたい」とリクエストされたそうです。

そこで、坂本氏は、学生をどなりつけてしまったと言います。

「僕は、普段あまり語気の強い話し方をしないし、音楽を仕事にしていることもあって柔らかいイメージを持たれているかも知れませんが、この時ばかりは頭にきて、『甘ったれるな!』と思わず怒鳴りつけていました。なぜ自分でやらないのか、なぜ自分のチカラを振り絞って少しでも前へ進んでいかないのか。情けなかった。 」

この話を読んだとき、「甘ったれるな」という言葉を、すごく久しぶりに聞いた気がしました。

私も、宙ぶらりんの状態に留まりながら自分自身で考え抜くというプロセスを、「効率」や「自分らしく」といった耳障りの良い言葉を盾に、うまくすり抜けて、「甘ったれ」ているのではないか、と。

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前出の茂木氏が、以下のようなことを言っていました。

「南直哉という禅僧に『答えなどないのだけれど、問いを共有することが大切』と言われました。『死に対してどう向き合うか』など、答えがあるはずがない。でも、問いはありますね。『問いを共有することで良い』、『そこから出発しよう』ということを南さんが言っていて。「その通りだ」と。」

自分の居心地の良さを保証してくれる範囲内の「答え」ばかりを見つけるのでなく、わからないと思うことをわからないものとして問い続けてみる。

先がみえないような不安が蔓延しているからこそ、そうした態度が大事なのでは、と考えさせられました。

仕事から離れていたせいか、少し抽象的な話になってしまいましたが。

皆さんは、どうお考えになりますか?

今回参考にさせていただいた書籍・記事

『一茶』藤沢周平 文春文庫
『涙の理由』重松清/茂木健一郎 宝島社
「仕事力/ 甘ったれるなよ 坂本龍一が語る仕事 1−4」朝日求人ウェブ

(2009年5月8日)

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