- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
2008年4月、実に74年ぶりに、ゼロから立ち上げた独立系の会社が、生命保険の事業免許を取得しました。
ご存じの方も多いかと思いますが、2008年5月18日に開業した、「ライフネット生命」です。
今年の7月、知り合いの方に誘っていただいて、そのライフネット生命の社長である、出口治明氏のお話を伺う機会がありました。
ライフネット生命については、インターネットのみでの販売、副社長がハーバード大学のMBAを優秀な成績で修了したという30代前半の方、という程度の知識しかありませんでした。
恥かしい話ですが、このときまで出口社長についてはほとんど存じ上げず、単純にこれからの生命保険会社の経営とは、といったお話を伺うことになるのかな、と思っていました。
しかし、その予想は、いい意味で大きく裏切られました。
氏の話の深さと、その人柄に感銘を受けた私は、次の日朝一番で、出口氏の著書『直球勝負の会社 日本発ベンチャー生保の企業物語』
をAmazonにて購入。更に、様々なヒントをいただくことになりました。
出口氏は、日本生命保険相互会社に40年近く勤め、『生命保険入門』(岩波書店)など生命保険についての著書を数冊お持ちの、生命保険を知り尽くした方です。
そんな出口氏は、2006年に投資顧問会社からアプローチを受けて、新しい保険会社を設立するプロジェクトに参加することになります。
戦後、多くの生命保険会社が設立されましたが、すべて、損害保険会社を含めた内外の保険会社が親会社となっているそうです。そうすれば、ノウハウも人材も、そして社会的信用も、親会社から比較的容易に受け継ぐことができます。
しかし、出口氏は敢えてその道を選びませんでした。
まず、出資者を保険業界から募りませんでした。20%以上の株式を保有し、金融庁から保険業法上の許可を受けている株主はいません。
氏が選んだビジネスパートナーは、MBAを取得して帰国したばかりの、保険業界未経験者。しかも、自分の子供ほどの年齢で、年の差は約30歳(現副社長・岩瀬大輔氏)。他のメンバーについても、日本生命から引き抜くということは一切しなかったそうです。
日本生命からスタッフを取ってしまうと、どうしてもそのDNAを引き継いでしまうだろう、保険会社から出資してもらえば、既存の保険会社の常識が移植されてしまうだろう、と考えたからです。
信用力が非常に重要な保険業界に参入するにしては、かなり「非」常識、です。
しかし、出口氏の「非」常識はそれだけに留まりませんでした。
これまで業界で暗黙のタブーとなっていた、保険の原価開示を実行に移し(これには業界他社からの非難もあったようです)、保険の約款もすべて公開することにしました(契約前には渡さないというのが商習慣だったそうです)。
さらに、保険をシンプルにするために、通常の保険商品にはつきものの、「特約」を一切つけない方針を固めました。
人の雇用については、退職後に一定期間は同業他社に転職しない、という約束を取り付けないと決定。定年制もないそうです。
そして、プッシュ型の営業担当を置かず、すべてネットでの販売を実現。
おそらく、長年生命保険業界にいらした方、もしくはその実情をよく知る方にとっては、「非」常識を超えて、宇宙語を話しているのでは?と思うくらいの、決断だったのではないかと想像します。
それもこれも、以下の3つの方針を貫くためだったといいます。
「生命保険料を半額にしたい」
(20代 30代が保険に入れるようにしたい)
「生命保険料の不払いをなくしたい」
(保険に入った理由をしっかり享受してもらいたい)
「生命保険の比較情報を発展させたい」
(お客様に本当に納得した選択をしてもらいたい)
当初、新しい形の保険会社をつくる、という初期の段階で、「ニッチな分野の損害保険会社を作ってはどうか」という案も上がっていたようです。
純粋にマーケティング的な発想で考えると、後発の小さな会社が市場に食い込んでいくために、「ニッチ」な(競合が少ない/いない)、「損害保険」(カバーエリアが異なれば複数入ることもあり)、とカテゴリに注目するのは一つの考え方だと思います。
しかし、生命保険を知り尽くして、その問題点をはっきりと見ていた出口氏は、そこには飛びつかなかった。「顧客にとってあるべき生命保険の販売」という、「王道」に敢えて挑戦することを決断されたわけです。
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「王道」を貫くために、「非」常識に挑戦する。
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出口氏の挑戦をこう言葉にしてみたとき、ドトールコーヒーの創業者である、鳥羽博道氏のことを思い出しました。
今でこそ、町のそこここにおしゃれなカフェがあり、かなり安い値段で美味しいコーヒーが飲めるようになっています。
しかし、1980年、ドトールコーヒーが原宿駅前の一角で一杯150円のコーヒーを販売し始めたときには、「いつまでもつか」「半分の値段(当時の一般的なコーヒーに対して)で利益など出るはずがない」という、批判的・懐疑的な声が大部分だったそうです。
中には他社のトップから、「いつまでディスカウントを続けるつもりですか?」と真顔で質問されたとか。
当時は第二次オイルショックが日本経済に長期にわたる景気低迷をもたらしていました。会社員の可処分所得の低下、実質所得の減少が起きていたといいます。そこで鳥羽氏は、
「可処分所得の低下はたとえコーヒー一杯とはいえ経済的に大きな負担になる。これは大変だ。ビジネスマンの生活を守らなければならない。なんとかして経済的負担を軽くしたい」
と思ったそうです。
その回答が、当時の常識を覆す「150円コーヒー」。
当初よく、「どうして150円だったのですか?」と聞かれたということですが、その価格は原価の積み上げを試算した結果ではなく、
「お客様が毎日飲んで負担に感じない金額で、きりのよい価格にしよう」ということで決まった数字だそうです。
氏の「非」常識なところは、その150円を実現するために、出店にかかる費用を抑えようという発想にならなかったことでした。
逆に、一等地に出店する、サービスの質を下げないために必要な機械は高価でも導入する。それが氏の結論。
一杯150円を実現するためにどう原価を抑えるかではなく、一人でも多くの人にコーヒーを飲んでもらって採算を合わせるためにはどうしたらいいか、と考えたのです。
これは、鳥羽氏が19歳のときに感じ、思い続けていた、
「一杯のコーヒーを通じて安らぎと活力を提供することが喫茶業の使命」
という、氏にとっての「王道」を貫いた結果だったのだと思います。
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目先のことや、流行りの言葉や方法論に心を奪われているうちに、「王道」を「常識」にとらわれないで進む努力をするのではなく、いつの間にか「常識」に縛られて、気がつくと「王道」を見失っているのではないか、我が身を振り返らされました。
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『直球勝負の会社 日本発ベンチャー生保の企業物語』出口治明・著(ダイヤモンド社)
『ドトールコーヒー 「勝つか死ぬか」の創業記』鳥羽博道・著(日経ビジネス人文庫)