- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
2004年、アテネオリンピックの女子マラソンで、野口みずきさんが優勝。そして、ゴールを切ったあと、履いていた靴にキスをしました。
少し前の話ですが、その場面を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
キスを受けた靴を作り上げたのは、アシックスの三村仁司さんという靴づくりのプロ。
野口さんだけではなく、有森裕子さんや高橋尚子さん、イチローなどの靴も作ってきた方だそうです。
三村さんは、足型をつくるために、三次元測定機という機械も使うそうですが、それは靴づくりの中のほんの一部を担っているにすぎません。
選手の走り方の癖、実際の筋肉の様子、体つきなど、ご自身で徹底的に調べるそうです。
野口さんの靴のためには、更に、実際にアテネに飛んでコースの道路の特徴まで観察し、デザインや素材を決めていったといいます。
難コースと言われていたアテネの街を、トップで走りぬくことができた野口さんは、おそらく「この靴がなければここまでできなかった」という感謝を、キスという行為で表したのだと思います。
これは、『職人力』という本で紹介されていたエピソードです。著者は、ご自身が50年間旋盤工として働き、そのかたわらに書いた小説で直木賞候補にもなったことがある、小関智弘氏。
小関氏はこのエピソードを紹介しつつ、
「世の中は、籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という言われ方があるが、これを身分の上下で理解するのは誤りである、と断じます。それぞれが役割分担で支えあって、はじめて質の高い仕事ができるはずで、並列の関係だと。
確かに、野口みずきさんの靴に「アシックス」と「MIZUKI」の文字はついていますが、三村さんの名前はどこにもありません。しかし、野口さんは、三村さんの価値を十分に理解していたわけです。
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ハーマンミラー社という家具のメーカーがあります。
アメリカで「もっとも働きがいのある会社」「もっとも称賛される会社」に選ばれる企業です。
家具に興味のある方であれば、アーロンチェアのメーカー、ということでご存じかもしれません。
その元CEOである、マックス・デプリー氏が、「偉人」とは? について書いていました。
「ハーマンミラーの偉人のひとりに、ペップ・ネイジェルカークという人物がいる。私の知るなかで、おそらくもっとも才能のある模型制作者だ。
ペップはアイディアやスケッチを試作品にする特別な才能に恵まれていて、ハーマンミラーのデザイナーのために35年間働いてきた。
わが社のどの製品企画にも欠かせない存在だ。彼は速球を受け止める捕手なのだ。・・・投手は速球を投げるだけでいい・・・しかし、ペップのような捕手がいなければ、そうしたアイディアはいずれ消えてしまう。」と。
ハーマンミラーは何人もの有名な家具デザイナーを生み出してきました。
私たちは、そうした人たちの名前は知っていますが、ペップさんの名前を通常知ることはありません。しかし、デザイナーが輝くための「捕手」が必要欠くべからざる人材である、ということがはっきりと認識されていることがわかります。
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これらのエピソードは、「それはそうだよね」とさらりと流せるくらい、当たり前の話に聞こえるかもしれません。
確かに、「大量消費」「大量生産」「先行企業追随型」のビジネスモデルでは競争に勝てない、創造的な新しい価値を生み出していくことが必要だ、と言われ続けています。そのためには、一人一人の個性をできるだけ尊重し、多様性を認めて力にしていく必要があると。
しかし、実際の会社生活を省みて、結局は「籠に乗る人」や「速球投手」にばかりスポットが当っている、もしくは、「籠に担いてもらえる人」、「早くボールを投げられる人」ばかりを採用・育成しようとしている、ということが本当に起きていないか、振り返ってみる価値があるのではないかと考えさせられました。
私が管理人をしている「人材・組織システム研究室」でコラムを書いていただいている楠田氏の第一回目に書かれていましたが、2・6・2の法則の、上位の「2」に入る人たちをリーダーとして徹底的に育てることに注力するあまり、気がつくと、中間にいる「6」の人たちにまったく教育ができていなかった、という笑えない話が実際に起こ
ったことがいると言います。
マックス・デプリー氏は、
「多様性をまとめるプロセスとは、思い切って他人の強みに頼ることである。何かについて自分より優れた人がいれば、その人に対して自分の弱みを認めればいい」 と言い、
「クジラはサボテンと同じくらいユニークな存在だが、クジラにデス・バレー(アメリカ西部の乾燥盆地)で生き抜けと求めるのはよそう。
人はそれぞれ特別な才能に恵まれている。それをどこに使うかによって、何かを達成できるかどうかが決まる」 と言っています。
前出の小関氏は、「個性」の考え方について、示唆に富む指摘をされていました。
「工業製品にばらつきは禁物である。指示された設計図に限りなく忠実に、限りなく没個性的に作られるのが望ましい。
(一方)、職人と呼ばれる人たちの作る製品は、むしろ個性を重んじられる。・・・・それが工場の職人は、個性のないものを作るのでは、職人と言えないのではないか、という疑問である。
私はそれでも職人と呼んできた。
その理由は、工場の職人は、限りなく無個性なものを作るために、そのものを作り出すプロセスで、限りなく個性を発揮する人たちだからである。」
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このエッセイも今回でちょうど2年目が終わり、3年目に入ることになります。
人は、一人一人個性があり、必ずそれを強みとして活かせる場所がある。その場所を仕事場で見つけることが一人一人の幸せの素であり、それを限りなく実現できた企業が成功するはずだ、という考えのもと、「適材適所は幸せの素」というタイトルで、ここまで52回、様々な方や本などで学んだことを文章にまとめてきました。
そのひとつのポイントとなる2年目の最後に、改めて、多様性や個性について、考えてみました。皆さんはどうお考えになるでしょうか?
最後に、前回もご紹介させていただいた、日本初のベンチャー生保の社長である出口治明氏の『直球勝負の会社』から。
「私は昔から、長所と短所はまったく同じもの(その人の個性)であり、長所を伸ばして短所を直すという考え方は、そもそもありえないと思っています。
無邪気にそう考えている人はトレード・オフというものが理解できないのです。
人はすべて三角形や四角形であり、長所を伸ばして短所を直そうとすれば、三角形や四角形の中に収まる小さな円になってしまうだけではありませんか。」
来号から3年目に入ります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
『職人学』小関智弘・著(講談社)
『響き合うリーダーシップ』 マックス・デプリー・著(月と海社)
『直球勝負の会社 日本発ベンチャー生保の企業物語』出口治明・著(ダイヤモンド社)