- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
「匂うはずのない鉄を、匂ったと書くのは、作者の思い入れが過ぎる」
今回は、前回も紹介させていただいた『職人学』から。
『職人学の』著者である小関氏は、50年旋盤工として現場に立ちながら、ノンフィクション、小説などを発表していました。
ある年、小関氏の小説「錆色の街」が直木賞候補になりました。が、結局その年の賞は「該当作品なし」。ただ、氏の作品は、佳作として「オール読物」に掲載されたそうです。
そのときに何人かの評者が、その中の「春は鉄までが匂った」という一文に対して、冒頭のような批判を出したといいます。工場で働いた経験があるひとりの評者は、わざわざ工場に出向き、実際に鉄を削って匂いがないことを確かめたそうです。
しかし、確かに、長年工場で金属を削り続けている人には、今工場内で何が削られているのか、目隠しをされても、耳栓をつけられても、その匂いでわかってしまうのだそうです。
おそらく、鋼の中に含まれている混合物が過熱されたり、鉄クズが湿気を含んだりすることで、微妙な匂いの違いをを感じることができるのだろう、というのが小関氏の考えです。
もっと驚くことに、金属を舌で味わい分けてしまう人物もいました。
大正十五年創業の老舗の金属商の二代目で、東京工業大学で金属学を学んだ平野さんという方です。自分の店で扱っている金属はすべて舌で味わっていたのだそうです。
ある時、アクシデントでごちゃごちゃに混ざってしまった金属塊に含まれている金属を、頼まれて目と舌で識別しました。その後の科学的な材料分析も行われたそうですが、平野さんが出した結果とまったく同じでした。
金属の味の違いについては、学問的に究明されていないといいますが、平野さんが金属を味わい分けられたという事実は覆すことはできません。
こうした「匠」的な存在の話をすると、特別な人たちの話だよ、と距離を置かれてしまうかもしれません。
しかし、驚くことに、普通の人にも、実はそうした能力が備わっているというのです。
「百分の一ミリの違いを指で感じることができますか?」と問われたら、どう答えるでしょうか?
私は迷わず、「わかるわけありません。それは職人技の領域でしょう」と答えるでしょう。百分の一ミリ、ですから。
しかし、髪質の異なる二人の人の髪の毛を一本ずつ抜いて、親指と人さし指で挟んで軽くねじってみます。すると、案外どちらの髪が太いと感じることができます。
その違いは、だいたい百分の一ミリ。
このように、人間というのは、そもそもそれくらいの感性を備えているのだそうです。
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一方で、こんな話も紹介されていました。
農業学校の生徒たちが、トマトの温室栽培の実習を行っていました。
トマトが植えられているビニールハウスはコンピュータで管理されていて、生徒たちは真面目に計器を点検し、記録を取っていたそうです。
そこで何が起きたのか。
生徒たちはトマトを腐らせてしまったそうです。
良く聞いてみれば、生徒たちはデータと睨めっこをするばかりで、トマトには手も触れていなかったということでした。
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『MBAが会社を滅ぼす』の著者であるH.ミンツバーグ教授は、その著書の中で、興味深い指摘をされています。
マネジメントには、3つの要素が必要だ、といいます。
それは、「アート」「サイエンス」、そして、「クラフト」 です。
「アートは、創造性を後押しし、直観とビジョンを生み出す。サイエンスは、体系的な分析・評価を通じて、秩序を生み出す。クラフトは、目に見える経験を基礎に、実務性を生み出す。
この結果、アートは具体的な出来事から一般論への帰納的なアプローチを取り、サイエンスは抽象概念を個別のケースに適用する演繹的なアプローチを取り、クラフトは具体論と一般論の間を行き来する傾向がある。」
MBAの教育は「サイエンス」ばかりを重視して、「クラフト」(経験・実務)が欠如していることが問題だというのが、ミンツバーグ教授の指摘で、本の邦題の元になっているのですが・・・。
マネジメントを考えるときに、これらのバランスがすべてが均等である必要はないけれど、3つのうちどれかひとつだけが突出しているとか、何かがぽっかりと抜け落ちているのは問題だ、という視点を提供してくれています。
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小関氏の経験に戻ると・・・
昔、「ステンレス鋼は硬い」というのが機械工たちの間での常識だったそうです。だから、刃が傷んだりしないよう、旋盤はゆっくりまわし、ステンレス鋼を送り込んでいくスピードもゆっくりとしたものになっていました。
あるとき、小関氏の働く工場で賃上げ交渉が行われ、膠着状態に入ってしまいました。
そこで、小関氏は、これまで一回転にコンマ三ミリで送っていたステンレス鋼を、コンマ四ミリでやってみる(=工期短縮の努力をする)ので、賃上げに同意してほしいと経営に提案をし、それが通ってしまいます。
単なる思い付きだったものの、いいだしっぺとなった小関氏はそれを実行するしかありません。そこで、まずはどんなことが起こるのか、ステンレス鋼を送り込むスピードを倍にして削ってみました。
すると、不思議なことに、刃が傷むどころか、軽快な音を立てて鋼材が削れてしまいました。何度やってみても同じでした。
後で技術書をひも解いて判明したということですが、実は、ステンレス鋼自体の硬度は高くありませんでした。鋼材が削られるときに発生する熱で、表面が硬くなっていただけだったのです。
つまり、ゆっくり削れば削るほど表面が硬くなってしまうけれど、スピーディーに削っていけば表面が硬くなる前の柔らかい面を削ることになるので、軽快に削れる、ということだったのです。
多くの職人が、ゆっくりと削ったときに感じた硬さを信じて、「ステンレス鋼は硬いからゆっくり削るべき」という考え方に囚われてしまっていたわけです。
「クラフト」も重要ですが、そればかり重視しすぎれば、こうした落とし穴も待っている、ということです。
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百分の一ミリを普通に感じ取れるような人間の基本的な力を認め、鉄の匂いをかぎ分け、金属をなめ分けてしまうような人間の経験の力を信じる同時に、常識を疑って新しい挑戦をしながらも、客観的な事実に謙虚に耳を傾ける。
そのような態度で仕事ができたら、そしてそうした人たちが集まったら、いい仕事を継続的にしていけそうな気がしますが、皆様はどうお考えになりますか?