- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
前回に続き、「失敗」について考えてみたいと思います。
2000年、2回連続でロケットの打ち上げに失敗して窮地に追い込まれていた宇宙開発事業団(当時)。当時JR東日本の会長職にあった山之内秀一朗氏が請われて、その理事長に就任しました。
就任当初、山之内氏は「ロケットは失敗するのが当たり前だから気楽な気持ちでがんばろう」と思っていたそうです。が、その予測に反して、「国家的なプロジェクトでこれ以上失敗をしたら次はない」「絶対に成功しないとダメ」といった大きなプレッシャーを受けることになり、次第に食事がのどに通らないくらいの状態に追い込まれていっ
たと言います。
しかも、H2Aロケットの打ち上げ直前、エンジンの最終試験でボルトが十数個吹き飛ぶ事故が発生してしまいます。しかし、そこは長年鉄道会社で修羅場をくぐってきた人物。周囲からの様々な声に晒されながら、2001年8月のH2Aロケット一号機から五回連続で打ち上げに成功するのです。
氏は、その功績を評価されて、宇宙関連の三機関を統合して2003年に発足した、JAXAの初代理事長に就任することになりました。
しかし、初代理事長に就任した年に行われたH2A六号機の打ち上げが、失敗に終わってしまいます。打ち上げ直後にトラブルが発生し、搭載していた衛星ともども爆破の決定を下さざるをえなくなったのです。
そして、前回ご紹介した『失敗学のすすめ』『回復力 失敗からの復活』の著者である畑村洋太郎教授は、その事故調査員のひとりとして、事故の原因調査を担当されました。
ここでは詳しい原因は割愛しますが、
「この種の問題は、一度や二度の実験ではなかなか見つけられません。そこがロケット開発の難しさです。ふつうの機械の場合は、安全が確認できるまで試験を何度も繰り返しますが、特殊な技術を使っているロケットではそれができません。だから宇宙開発では、ある程度の失敗が避けられないのです。」(畑村教授)
世界の宇宙開発を見ると、ロケットの打ち上げは20回に一回程度の確率で失敗しているといいます。この数字と比較して、日本の失敗比率が特に高いわけではありません。
また、1969年にスタートした日本の宇宙開発事業の予算はアメリカの10分の1程度。打ち上げ回数も数十回程度で、アメリカの千数百回、ロシアの2000回超と比較すれば、与えられた条件の中でかなりの成果を上げている、と畑村教授は評価します。
しかし、世間一般ではそういう見方をしない傾向が強い。H2A六号機の失敗の時も、「技術立国の信頼性が揺らいだ」と、多くの厳しい批判に晒されました。
山之内氏は、辞意を決意するものの受けいれられず、かといって批判・非難が和らぐわけでもなく、とうとう医者から「命と仕事のどちらを選ぶか決めなさい」と最後通牒を出されるまで追い詰められてしまいました。ご自身も、「そのまま理事職にとどまっていたら自分はそのときに確実に死んでいた」とおっしゃっていたそうです。
本来、ロケット打ち上げは、未知への挑戦であり、ある意味で失敗するのが当たり前の世界。しかし、宇宙開発事業の本質に対する周囲の無理解が、「打ち上げ5回連続の成功」を支えてきた人物を、結局、一回の失敗で舞台から降ろすことになってしまいました。
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2004年10月、新潟中越地震が起こりました。
その影響で、上越新幹線の脱線事故が発生します。
そのとき、死者・負傷者ゼロだったにもかかわらず、「新幹線の安全神話の崩壊」という、ネガティブな問題として報道されることが多かったのを記憶している方も多いのではないでしょうか?
上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走したおかげで、横転や転覆、高架橋からの転落を免れた、という雪国を走る新幹線だからこそのラッキーはあったと言われていますが、それでもこの程度の事故で収まった最大の功績のひとつに、以前の失敗から学んだことを実直に修正してきた結果があったそうです。
実は、JR東日本では、2003年7月に起きた宮城地震で新幹線の橋脚が30本ほど損傷を受けたことを重く見て、高架橋の安全性の見直しを行っていました。そして、新潟中越地震当時、既に1万5千本余りの橋脚の補強工事を終えており、この脱線事故が起きた場所は、その補強が終わっている箇所でした。
日本ではネガティブな反応が多かったのに対して、海外の専門家たちや、実際に高速鉄道が走っている国のメディアでは、「この高架橋が崩壊しなかったことが新幹線の安全性を裏付けるものだ」として評価し、大きく取り扱っていたそうです。
実際に、地震の直後に高架橋の近くでは地盤の液化現象のためマンホールが1メートル弱も浮き上がっていました。もし、強化工事が行われていなかったら、大惨事になっていただろう、と事故の専門家は見ています。
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「失敗はあってはならないもの」「失敗は恥」といった風潮があまりに強い、もしくは、失敗から学んだ結果に対するポジティブな評価をする文化がない、ということは、考えているよりもとても危険であり、大きく成功する機会を著しく損ねているのではないか、と考えさせられます。
<「失敗をしないため」の研修、「失敗をしないため」のマニュアル、「失敗をしないため」のマネジメント。それらは必要な部分もあると思いますが、それだけになっていないか。それだけで良いのか。自分の日々の仕事も含めて、考えさせられました。>
2年ほど前にも、こんな風に考えていたことに気がつきました。サントリーラグビー部の清宮克幸監督、そして、『奇跡の経営』の著者であるリカルド・セムラー氏の話からそんなヒントを得ていたのです。(興味のある方は、こちらから<リンク:http://www.jinzai-soshiki.com/essay/20.html>)
「どんなことでも、何度でも失敗していいんだー」と失敗した本人に開き直られては困りますが、それでも、「失敗の価値」について、真剣に考える意味があるように思います。
皆様はどうお考えになりますか?