- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
気になっている日本人がいます。
加藤嘉一さん。
昨年1年間で、中国メディアから受けた取材は318回、執筆したコラムは200本。これまでに中国
語で出版した本は3冊(共著含む)。今年中にあと一冊出版予定。
中国のメディア関係者をして、「中国の出版業界で『加藤嘉一現象』が起きている」と言わしめる彼は、
25歳の北京大学大学院生です。
昨年の衆議院総選挙の際には、一日に30件の取材を受けたとか。日本について聞きたいことがあると
家の前に記者が待っていることがあるほど、「日本のことを聞くなら、加藤だ」と中国メディアに浸透し
ているようです。
最初に彼の名前を知ったのは、2010年4月10日付の日経新聞の朝刊の一面。「こもるなニッポン」
という連載記事の第三回目に登場しました。
生放送番組にも積極的に出演し、すべて中国語で話すという加藤氏。(ちなみにブログも中国語。)日本
のことだけではなく、いうべき時には『中国のここがおかしい』ときちっと指摘しようと努力をしてい
る姿勢が認められてきたからこそ、これだけの取材やメディア露出があるようです。
「誤解を恐れずに言えば、日本人の意見や日本のことを知りたいという中国13億人のニーズを僕が独
占しているのだと思います」(加藤氏)
そんな彼の発言が、私に突き刺さりました。
高校を卒業した後、すぐに北京大学に入学した理由を聞かれて、
「小学生のころクラスの班長に立候補したことがあります。正義感を持って手を上げたのに白い目で見
られました。公民館で発言したり、リーダーシップを発揮しようとしてもことごとくつぶされまし
た。・・・なぜ皆気を使いながら和を保とうとしているのか不思議に思いました。世界でもこういうこと
が一般的なのかを知りたくて海外に行きたくなりました。」
と答えています。
「いずれ日本に帰りたいのですが、いま帰ると『出る杭は打たれる』でつぶされますので、米国に行き
博士号を取り、働いてみてから帰国したいと思います。・・・(僕は)日本企業にとって有益な人材だと
思いますが、悲しいかな、きっと日本社会は受け入れてくれないでしょう。・・・(今の)僕には日本社
会全体を変える力はありませんので、僕自身が妥協すればいいと考えています。だからまず米国にいき
ます」(2010年4月10日日経新聞の朝刊より)と。
彼から見た日本社会はこうなのか、と悲しい気持ちになりました。
海外に出て活躍している人が語る日本観がすべて正しいとは思いません。
しかし、彼のこうした発言を聞いて、「確かに、多くの日本企業では彼のような人物を使いきれないかも
しれない・・・」と思った方も少なくないのではないかと思います。
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彼の話を考えているときに思い出した話を。
私が英語を実生活で使うようになったのは30歳を過ぎてから。オーストラリアの大学院で学び、現地
の企業で働きました。その間約6年、メインの言語は英語だったのですが、常に私の頭の片隅にあった
のは、「私の英語はつたない」というコンプレックスでした。
その頃付き合っていた友人たちは10歳前後年下の人が多かったのですが、それでも私はどこかで「自
分はみそっかす」という気持ちでいたように思います。「英語が話せないから」一人前ではないといった
感覚・・・。
そして6年前、仕事のメインが日本に移り、英語を話す時間は激減。オーストラリアで過ごす時間も大
幅に減りました。
しかし、最近、面白い経験をしました。オーストラリアの友人の一人が、「Yukiko(私のこと)がこん
なに自分からたくさん話をする人だと思わなかった。日本にいる時間が長いのに、英語には問題がない
んだね」と。
謙遜ではなく、正直私の英語力は低下しています(これは個人的に大きな問題なのですが)。でも、何故
そんなことを言われたのだろうと考えてみました。そして、この6年間で、幸い充実した仕事をするこ
とができ、自分の弱点を認めることができるくらいの自信がついてきたからだ、と気づきました。
そのことが、コミュニケーションの質を変え、あたかも英語力が向上しているように感じられた、とい
うことだったようです。
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正直、今回の話に何らかの解決策や結論はありません。
ただ、「グローバル化は避けて通れない」とは耳にタコができるほど言われていること。私として現実レ
ベルで何ができるのか、地道に考えていきたいと思います。
日本経済新聞 2010年4月10日朝刊 「こもるなニッポン」?
日経新聞Web刊 「加藤嘉一さん 「日本が例外」と知った
「こもるなニッポン」関連インタビュー」
(2010年6月10日)