- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
会社に向かう近道に、とても不思議な階段があります。20段ほどの階段なのですが、一段一段の高さ
がひとつも同じではないのです。どうしたらそんな階段を作ろうと思えるのか、もしくは地形に合わせ
るとそうならざるを得なかったのかわかりませんが、個人的には「芸術的な階段」と呼んでいます。
興味深い階段でありながら、夜、特にかかとの高いパンプスを履いているときにその階段を降りるのは
結構怖い。転んだりしないようにソロソロと降りながら思うのは、人間の認識と体というのは、自分の
期待値を無意識に作って、それに合わせて動くのだな、ということです。
普通の階段を昇り降りするときは、おそらく一段か二段昇った(降りた)時点で、一段の高さを認識し、
同時に通常の階段であれば次にも同じ高さがくるはずと信じているのだと思います。だから、初めて昇
り降りするような、例えば初めて訪れた駅の階段でも、駆け上がったり駆け下りたりすることができる
のでしょう。
もう一段あると思ったのに、もう階段は終わっていて思い切り地面を踏みつけてしまったり、逆に、も
う階段が終わりだとおもって踏み出したらもう一段あって転びそうになったりしたことがあるのではな
いでしょうか?
先日、若手の人事担当者の方たちとお話をする機会がありました。そこで、「『バブル』ってどういうも
のか、経験してみたかったですね」と言われて、はっとしました。それまでは、「人事とは・・・」とい
った話を普通にしていました。同じ分野で活動するもの同士として、年齢や性別を超えて対等に意見を
交換していたのですが、その一言で、発言の背後にあるお互いの経験は決定的に違うのだということを
改めて気づかされました。
6、7年前に大きな話題になった書籍、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』の出版ですら、20
代前半の担当者にとっては、あくまで過去の事実であって、実感値として感じられる出来事ではない。
そこで、あの「芸術的な階段」を最初に昇ったときに、次の段の高さが予想と違っていて、とまどった
ときの感覚と重なりました。そして、相手も同じように、その高さをはかりかねて、とまどっているの
だろうということも。
年齢に限らず、性別、国籍、家庭環境等々、実はいろいろな「段差」があるにも関わらず、ひとつのグ
ループの価値観でできた、段差が均一の階段だけを、無批判に昇り降りしていればよかった時代は終わ
ろうとしているのでしょう。
(2011年2月3日)