- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
雑誌の表紙に、「遊」という文字が20以上並んでいました。すべて手書き。
その雑誌の名前は「遊」。そのため、最初に見たときには、雑誌の関係者たちが何かの記念のために、
手書きで雑誌の名前を寄せ書きしたのかと思いました。
しかし、そのデザインをした杉浦康平氏がデザインの説明を聞いて驚きました。私が目にしていた
20以上の「遊」は、ひとつを除いてすべて「間違い文字」。ひとつひとつ見ていくとすべて正しい
「遊」ではありません。そのうちいくつかは、単独でみたら「遊」に見えるかどうか、というくらい
激しく間違っていました。
次に見せられたのは、「何か」の漢字の間違い文字。あまりに漠然としていて、どの漢字が元になって
いるかわかりません。しかし、いくつかの「間違い文字」を並べてみると、魔法のように元となって
いた正しい漢字が浮き上がってきます。
面白いものだなあ、と思いました。
そのとき頭に浮かんだことが2つあります。
ひとつは、不完全な文字でも、本物に近いものが集まると、本物と同じ効果を持つということもある、
ということ。先ほどの雑誌の表紙も、中央に置かれた「正しい『遊』」がなかったとしても、沢山の「遊」
が存在するという印象を与えることができるでしょう。
もうひとつは、偽「遊」が集まってしまうと、自ら本物であると勘違いしてしまう可能性がある、とい
うこと。少しずつ本物にはなりきれていないもの同士が、その状態で満足してしまって、結局「本物」
になる努力を忘れてしまう危険があるように思えます。
これが「人」の集団だとしたらどうなのだろう・・・と考えてしまいました。
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盆栽家の話から。
木の性質として、一番先端の芽が一番勢いがいいそうです。その芽を思い切って切ると、自然にその下
にあった芽が動き出す。先端の芽が消えることで、二番目三番目の芽が活躍し出すということです。
この話を読んだときにも、2つのことが頭に浮かびました。
ひとつは、先端で一番勢いのいい芽がある限り、二番目三番目の芽は活躍する機会を得ることができな
いのか、ということ。
もうひとつは、二番目三番目の芽のことを考えるあまり、せっかく先端の芽が持っていた勢い(価値)
をそいでしまっていいのか、ということ。
こちらも「人」の集団だとしたら、どう考えるのがいいのだろう・・・・。
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漢字の話、盆栽の話それぞれから頭に浮かんだ2つの考えは、どちらか一方が絶対的な正解、という
ことはないのだと思います。
大事なのは、こうした矛盾を抱え込んだうえで、その時々での最善を尽くすのだという「決心」なの
ではないか・・・。
皆さんはどうお考えになるでしょうか。