- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
「それは、男性?女性?」
英語で会話しているときに、聞き返されることがあります。昔から何度も指摘されてきたので、かなり
意識をするようになって良くなってきたとは思うのですが、勢いよく話をしていると、まだHeとSheを
ごちゃまぜにしていることがあるようです。聞き返されると、「ああ、日本語で話をしているときには、
話題になっている人の性別について考えていないということに、改めて気がつかされます。
これは、時間の感覚についても同じことが言えます。日本語にはない「現在完了」「過去完了」の考え方
もまたしかり。意識して使っているつもりではあるのですが、まだまだ「ネイティブならそうは言わない」
という間違いをしてしまうことがあります。
昨今は、非ネイティブの英語「グロービッシュ」という考え方が注目されていると聞きます。グローバル
共通語である英語を話す人の7割以上の人の母国語が英語ではない。だから、英語ネイティブからみ
て「正確な英語」「正確な文法」に固執する必要はない、ということだそうです。
個人的にも、「ツール」である英語についてあまりに正確さを追求するあまりに、「目的」であるコミュニ
ケーションができなくなるという逆転現象はナンセンスだと思っています。ですからここで文法の正確さ
の話をするつもりはありません。
ただ、先のような場面にぶつかるたびに、子供の頃から慣れ親しんできた環境からの影響からは、後天
的に意識しても逃れることは、考えているよりも簡単ではない。異文化を接触するときに心の片隅に置
いておくことは必要だな、と感じるのです。「人間は一緒」という面も多々ありますが、違うことは違うと。
例えば、英語には日本語に直訳できないような独特の「スラング」があります。友人間のフランクな会
話では、そういった言葉が飛び出す場面に出会うことがあります。頭では「あれはスラングだから使わ
ない方がいい」ということは理解できます。でも、そうしたスラングを使われたときに、その言葉を母国語
に持つ人が感じる不愉快さとか、屈辱、軽蔑といった直観的な感覚は、正直実感値としては感じられ
ません。
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外国人の友人と一緒に料理をしていて、驚いたことがありました。友人はパーティーのためにディップ
を作っていたのですが、私の食器棚にあったご飯茶わんを取り出して、ディップを盛り付け始めたので
す。日本人の私にとって、ご飯茶わんはあくまで「ご飯」を入れるもの。そこで「それって、Steamed Rice
を入れるものだけど・・・」と指摘した私に、今度は友人が驚く番です。「でも大きさはちょうどいいし、模様
も素敵だし、何が問題なの?」と。確かに、その通りなのですが、何十年もそれをご飯にしか使ってこな
かった私には考えたことのない使い方でした。
またある時、やはり外国人の友人と日本食を食べにいきました。まだまだ日本食が一般的ではない頃で、
その友人は「日本食=箸で食べるもの」と思っていました。そこに出てきたのがカレーライス。それでも、
友人は箸を離しません。私がスプーンで食べていいのに、と言っても、しばらくは「自分が外国人だから
箸を使えないと思われている」と思ってしまっていた様子。あまりの食べにくさと、周りの人の様子で
最後には納得してスプーンに手を伸ばしましたが。。。
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習慣、慣れ親しんだ環境、気がつかずに刷り込まれている認識・・・。頭から否定するものでもなく、
執拗に固執するものでもなく、「それは確実に存在する」というニュートラルな認識が、異なる文化背景
を持っている人たちと共存していくためには必要なのではないか、と最近感じています。