- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
30数年たった今でも、鮮明に記憶に残っていることがあります。
小学校でのいじめの場面です。
昼休みが終わって先生が来るのを待っている間、一人の子が立ちあがって「大島が嫌いな人はー?」と聞
きます。すると、「はーい」と言いながら全員が手を挙げるのです。そして、質問者は「大島と話したヤツは
シカト(無視)だからな」といって席に着きます。もちろん、昼休みはどのグループがやっている遊びには入れ
てもらえていません。
それは数カ月続きました。短い間でしたが、私にとっては衝撃的な経験で、ある時まで時々思い出してし
まう苦い経験でした。
経験は良くも悪くも人の行動に大きく影響することを痛感します。卒業後は地域外の中学校に進学した
ので、新しい世界に当時を知っている人は誰もいなかったにも関わらず「自由にグループを組みなさい」と
言われるとき、仲間外れにされるのではないかという恐怖を常に抱え続けました。
このいじめ話には後日談があります。
小学校を卒業して20数年経って、同窓会がありました。そこでわかったのは、当時いじめの中心にいた人
たちですら、私をいじめていたことをまったく覚えていなかったということです。とぼけているのかと思いましたが、
どうやら本当に覚えていないらしい・・・。
その同窓会に出席するのはそれなりに緊張していました。自分の感情がどんな反応をするのか想像がつ
かなかったからです。そして・・・肩すかし。
普通に話しかけてくる面々を見ながら、20年以上「私は人から好かれない」とコンプレックスを持ち続けて
いたことは何だったのだろう、と力が抜けていくのを感じました。
逆に、その同窓会を境に、あんな苦い経験ができたからこそ気づけたことがあると、経験が肯定的な意味
合いを持つようになりました。そして、小学校の教室での場面を思い出すことはほとんどなくなりました。
組織で仕事をする者として、関わる人にどのような経験を与えているのかに自覚的である必要があると。
日々大小の経験を積み重ねている個人として、経験の意味は不変ではなく、変えることができると。
久しぶりに、30数年前に教室で泣くのを我慢していた自分を思い出して、改めて感じました。
2011年、皆さんはどのような「経験」をなさったでしょうか。
(2011年12月15日)