- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
先日、いわゆるエクスパットとして東京に働きに来ている外国の方と話す機会がありました。
彼は、東京に来て約1年。それまでも香港や中近東など自国以外の国で働いてきて、昨年日本に赴任してきたそうです。
1年間近く働いてみて、日本人の上司、同僚、部下について感じていることを聞いてみました。いくつかのポイントがあったのですが、ひとつは、未だに「外国人には日本(人)のことはわからない」と思われていると感じることがあるということでした。
クライアントへの提案を話し合う会議で、彼のアイディアに対して、「それは日本では通用しない」と言われることは珍しくないそうです。
実際のクライアントとの話し合いで、結局当初彼が主張した方向にいくことが結構多いにもかかわらず、なかなか受け入れてもらえないもどかしさを感じると。
彼の部下に確認をしたわけではないので、この話をそのまま受け入れてしまうわけにはいきませんが、それでも、私たちの中には、今もなお「日本の文化や習慣は、日本人でなければわからない」と無意識に思っていないか、考えさせられました。
では、そういった考え方は間違いで、「我々は同じ人類なのだから、様々な違いを超えて、絶対にわかりあえるはずだ」と言い切れるのか。
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友人が、オーストラリアで空手の道場を開いていたときの話です。
その日は、彼がどうしてもクラスを持つことができず、次にランクが高い黒帯の女性にクラスをまかせました。
しかし、そのことを知ったある生徒たちが激しく反発し、暴言を吐き、彼女が言うことを受け付けず、結局クラスが開けなかったことがありました。彼らが信じる宗教では、男尊女卑の意識が強く、特に武道という「男のもの」を女性から習うなどということは耐えられない、ということだったようです。
そのことを聞いた彼は、猛烈に怒りました。男女を平等に扱うことを文化の価値としている世界で育ってきた彼にとって、そのようなことが彼の道場で起きたことが許せなかったといいます。その後、その生徒たちと話し合ったそうですが、溝を埋めることはできず、彼らは道場を去ったそうです。
宗教・文化が背景にある、難しい問題です。
ここからは半分笑い話ですが・・・その空手の先生とは上記の話に対する反応も含めて、かなりの部分理解しあえると思うのですが、「季節」の話になるとわかり合えません。
オーストラリアでは季節をカレンダーの具体的な日付ではっきり区切ります。例えば、4月1日に秋が始まります(南半球なので季節が逆)。7月1日から冬です。私はこの感覚がどうも馴染めない。
一方、自然現象を感じながら、やっと春が来たね、もう夏だね、と言っている私を、彼はよく理解できない。そういう意味では、「この感覚は日本人でなければ理解できない」と言えてしまうのでしょう。
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長年世界の民族問題を取材している友人に、そんな話をつらつらとしてみました。
彼曰く、確かにグループ間の、超え難い違いというのは存在するだろうと。
ただ、その根拠が、実は信じられているより非常に歴史が浅く、ある意図(時に悪意)を持って形成されていることも少なくない。そうしたものが、強者と弱者との差別に利用され、ひとつに固定化されることが問題なのだろう、と言っていました。
違いを否定するのではなく、存在する違いを冷静に理解することから始めるのが大事だ、ということだと思います。
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これから日本は、外に出ていく、外から受け入れる、どちらのベクトルでもグローバル化の波は避けられないでしょう。そのとき、自分とは決定的に違う(もっと言えば、受け入れがたい)と思う人や文化に出会うはずです。
これまでは、日本の経済力を背景に強者の立場を取りやすかったと思いますが、これからはそうとも限らないでしょう。そのとき、「違い」とどう向き合うのか。今から、意識をして考えておく、できれば経験していく必要があるのではないか、そう感じています。
皆さんはどうお考えになるでしょうか。
(2010年4月2日)