- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
日経新聞の月曜日の夕刊で、いつも気になってしまう記事があります。タイトルは「フォーカス」。ユニークな活動をしている人、注目したい人物に焦点を当てて紹介しています。文字数にして、600字程度。紙面の中では正直、物理的に目立つ存在ではありません。
では、何故この記事がいつも気になるのか。それは、インタビューされている人の「肩書き」が明確に書かれていないからだ、ということに気がつきました。
(※ これから言う「肩書き」は、会社名・所属団体名やそこでの役職、もしくは職業を指すことにします。)
見出しの中に、「肩書き」の一部が入っていることもありますが、ほとんどの場合、その人が注目されることになった活動等が示されるのみです。その他、パッと見て目に入るのは、名前と写真のみ。聞いたことがない方が多く、その記事が「誰」を紹介したものなのか、一目ではわからないのです。
目を少し左横に転じると、「人間発見」という人物紹介の記事があります。そこには、大きくその人の「肩書き」が印字されており、誰の話なのかが一目瞭然。取り上げられる人たちのほとんどは、名前を聞いたことがある有名人ですが、たとえそれまで見たことも聞いたこともない人だったとしても、大抵その「肩書き」に示される会社名や所属団体、職業に見覚えがあり、安心して「読むか読まないか」を決めることができるのです。
が、隣りにある「フォーカス」には、居心地の悪さを感じる。
そんな心の動きに気がついたとき、自分が人やコトを判断するときに、いかに「肩書き」を頼りにしているか、ということを改めて思い知らされました。
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大学卒業後に最初に入社した会社を辞める直前の仕事は、月刊誌の編集。隔月で特集を企画・編集し、毎月何本もの連載記事を作成する毎日でした。そのため、多くのライター、カメラマンの方々と仕事をしていました。そして、一念発起して退社、フリーランスの編集者/ライターに。
フリーになって最初にいただいた仕事で撮影が必要だったので、それまで一緒に仕事をしていたカメラマンに声をかけました。しかし、「その日は他の取材が入っているから」と断られます。次の仕事のときにも依頼しましたが、答えは、「忙しいからダメです」。
そのとき初めて、その人がフリーになった私からの仕事は受けたくない、と思っているのだということに気がつきました。私が企業に所属していたときには、一度も断られたことはありませんでしたから。
それは、彼だけではありません。結局、会社で編集者をしていたときにお付き合いしていた方の多くが、フリーになった瞬間に、潮が引くように去っていきました。自分自身の実力を思い知らされた瞬間でした。
それでも、数名でしたが、私の仕事を受けてくださったり、知り合いの編集部に紹介してくださったりする方もいらっしゃいました。今でも感謝しています。
そこからは、依頼された仕事は基本的にすべて受けて、「肩書き」がなくても信頼される状態を作ることを考えて働きました。
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そんな風に、「肩書き」にはこだわらない!と考えてきた私も、「肩書き」が見えない新聞記事には、居心地の悪さを無意識に感じていたわけで、ちょっと考えさせられました。私も結局、「肩書き」に囚われている??
悶々と考えるうちに気がついたのは、「肩書き」なんて関係ない!と言っていることと、「肩書き」をメインに人を判断していることは、実は同じことなのではないか、ということでした。
「肩書き」は、その人が少なくとも今、どんな立ち位置で物を見ているのかを語ってくれる、ひとつの有力な情報源です。例えば、歴史の長い大企業なら大企業なりの、外資系グローバル企業なら外資系グローバル企業なりの、創立間もないベンチャー企業ならベンチャー企業なりの、目線の位置と、日々もまれている波があるはず。それぞれの場所から見える風景は、おのずと異なるはずです。
本当の問題は、そこに一本線上の序列関係を見出して、それを基に、たまたまそこに属している個人を(自分自身も含めて)判断する、というメカニズムにあるのでしょう。
「肩書き」なんて関係ない!とこだわるということは、「一本の序列関係」が存在しているという前提に立っているということなのではないか。つまり、異なる方向からアプローチしながらも、結局は序列関係を肯定した世界にいる、ということです。
もっと素直に、相手の、そして自分の「肩書き」と付き合えばいい。
ただ同時に、「肩書き」だけで人を判断しなくてもいいくらい人を見る目を養い、自分自身は「肩書き」をはずしたとしても付き合っていきたいと思ってもらえる人になることを、目指せばよいのだと、勝手に納得した次第です。
これをお読みの方々も、様々な「肩書き」を背負って仕事・生活をされていると思います。「肩書き」について、どのように感じていらっしゃるでしょうか。ニュートラルに「肩書き」と付き合えているでしょうか。そして、「肩書き」がなくても、勝負していけそうでしょうか。
私はまだまだバイアスのかかった世界にいます。まだまだ学ぶことがありそうです。
(2010年5月27日)