HR Fundamentals : 人材組織研究室インタビュー

第2回 人事担当者が世界観とか歴史観といったものを持っていることが非常に重要になります

第2回 人事担当者が世界観とか歴史観といったものを持っていることが非常に重要になります

一橋大学大学院商学研究科教授 守島 基博 教授

今回は、戦略的人的資源管理論、組織行動論がご専門であり、企業の人事について実地的な研究を重ねておられる一橋大学の守島基博教授に、これからの企業人事が考えていかなくてはならないポイントについて伺いました。


守島 基博 教授  プロフィール

1982年慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。86年に米国イリノイ大学大学院産業労使関係研究所博士課程修了、組織行動論・人的資源管理論でPh.D.を取得し、カナダ・サイモン・フレーザー大学経営学部助教授。90年慶應義塾大学総合政策学部助教授、99年同大学大学院経営管理研究科教授を経て、現在一橋大学大学院商学研究科教授。主な著書に『人材マネジメント入門』(日経文庫)『会社の元気は人事がつくる』(共著、日本経団連出版)などがある。

これからの人事に求められる「サイエンス」の視点

― 守島先生が最近感じていらっしゃる、日本の人事が直面している課題についてお聞かせいただけますか?

最近感じていることの一つに、「サイエンスの視点の必要性」があります。

日本の人事の世界は、放っておくと「アート(主観・暗黙知)」に走りがちな傾向があります。確かにアートの世界はとても重要なのですが、これからは「サイエンス(科学・形式知)」の視点を持つ必要性が高まっていると感じています。

多様な働き方が共存するのが当たり前の世界になってくると、人の処遇の公平性とか納得性ということがとても大切になってきています。それを実現していくためには、個性をきちっと把握し、評価できるということが重要で、そのためには、正確な情報の量的な把握ということが求められます。

もちろん、個人間の比較といったときに、最後は人格だったり人柄だったり、リーダーシップが取れるかどうかといったある程度主観的な判断が入ってくるのですが、そういった判断に至るまでのベースは、やはり質的な情報の積み重ねだけではなく、量的情報の裏打ちだと思うんですね。

しかし、今の日本の企業では、人材に関する情報が企業内で非常に流通しにくい状態になっています。

企業が事業部制を採用する、グループ経営に乗り出して各社でプロパー人材を採用する、といったことがどんどん起こっていて、そもそも、人事に人材に関する情報が集まりにくい構造になってきた。

また、昔は、「名物人事部長」がいて、彼の頭の中にオフィシャルな情報もプライベートな情報もすべてが記憶されていて、それに基づいて人材配置などをすることができていました。しかし、今の環境ではそういったことは難しくなってきたし、他部門を経験した人を部長に据えるといった動きを取る企業も多くなってきました。

つまり、企業が抱える人材についての生の情報を人事がすべて押さえている、ということが自然にできる時代ではなくなったのです。

こうした状況下で、質的・量的に満足のいく情報を扱っていこうと思ったら、やはり一部ではITというツールを視野に入れる必要がでてくるでしょう。

しかし、ただITというツールを入れればいいという話ではありません。

ITというツールを使ってどのような情報を収集するのか、質的情報とどう切り分けるのか、また、どういう場面でどのようにデータを使っていくのか、といった具体的な情報収集の形式と中身、そして運用・活用を考えていくということが肝要です。そこで「サイエンス」の視点が求められてくるのです。

どうも、日本の人事では、そういった情報活用の観点が希薄な傾向がありますから、このあたりは意識的に取り組む必要があるでしょう。

― 経営者から要請、という面もありますか?

昨今、「戦略人事」ということがよく言われるようになりましたが、人に関する決定が人事部に任されることが段々減ってきているのではないでしょうか?企業のトップが、「人事はトップマターだ」と思えば思うほど、人材と人材マネジメントを把握したいと思うようになるはずです。となると、経営者は、やはり数字的情報とか、まとまった情報を見たいという要望が出てきますね。

これから人事に関わる人たちは、こういった要望に応えられる準備ができていなければならないし、その結果、経営者を納得させなければならない。そういう意味では、人事に求められる仕事の性質や、求められる成果は変わっていくでしょう。その時に要請されるのも、「サイエンス」の視点です。

昔は、人事制度を作って運用し、労働組合と交渉をし、一定のルールに従って人材のローテーションをかけて、労働基準法を遵守することを考えていればよかったところがあります。しかし、これからは、経営者の要請にこたえていく必要があるのです。

人事がしっかりとポリシーを持つために、「外」に目を向けることが必要

また、このように、経営者が人の問題に対して本当にコミットしてくるというのは良い面もありますが、下手をするとかき回されてしまうというマイナス面もあることも認識しておいた方がいいでしょう。

― かき回されてしまうというのは?

人事が経営の直接的な要請に晒されて、右往左往してしまう可能性があるということです。その会社の人材戦略をどうしていかなければならないのか、人事のプロとしてのポリシーを持っていないと、人事戦略がぶれてしまう危険があるということです。

― つまり、経営が人事にコミットするからこそ、人事がポリシーをしっかり持たなければならない、ということですか?

そうです。ビジネスで成功している経営者の中には、「人」に対して少し特異な考え方をしているケースも少なくないですし、彼ら・彼女たちは、人事のプロではありません。彼ら・彼女たちの考え方を、どのように現実的で具体的な仕組みに落とし込んでいくのかということが、人事として非常に重要になってくると思います。その時に人事部門としての独自の理念やビジョンが必要になるのです。

― 人事がしっかりと、人事としてのポリシーを持っていくために必要なことは何でしょうか?

人事の人たちは世の中のことを積極的に勉強した方がいいと思います。

日本の人事は、過去20年間、企業内部の改革に対してものすごく努力をしてきました。成果主義を入れてきたり、選抜型研修を取り入れたり、ワークライフバランスの問題や、女性の活用に取り組んだり。そうして内側にばかり目を向けている間に、世の中は急激に変化してしまった。これからは、変化してきた環境に正面から対応していかなくてはなりません。そのためには、世の中の動きをしっかりと理解していくことが大切になります。

表面的な知識ではなく、世界観・歴史観を持つ

特に、世の中を勉強すると言った時、単に日本では何が起きているかを知るというのももちろん大事なのですが、世界で何が起こっているのかについて目を向けることも、非常に重要だと思っています。

今、多くの企業が「海外」との接点を持っていくことを避けられないでしょうから、それぞれの国で何が起こっていて、そういった場所では人に関して、どんなテーマが重要なのか。それも、表面的な知識を集めるということではなくて、世界観とか歴史観といったものが基礎にあるということが非常に重要になります。多くの企業が「グローバル化」と言っていますが、そういう観点を持たないと、人のグローバル化はうまくいかないでしょうね。

例えば、私が指導している学生の中に中国からの留学生がいますが、彼らと話をしていると、日本の企業は、中国の人たちがどのような価値観をもっているとか、労働観をもっているとか、人生観をもっているかといったことをほとんどわかっていないんじゃないか、と感じるんです。人事の人たちは、日本企業で働いている中国人たちとは話をするかもしれないけれど、それはほんとに表面的な話しが多いように思います。

多くの日本の企業では、偏った表面的な話や評論家の意見を聞いて理解したつもりになって、あとは人事制度のことばかりに集中してしまった。その結果、いったい中国の人たちというのは、何を求めて働いて、何が喜びになっているのかという全体像を把握しないままここまできてしまったのではないかと思います。

実はアメリカにしても、「中国人観」ということでいえば、バイアスがかかっている可能性が高いのです。なぜなら、彼らの中国人観は、アメリカに移民している中国系の人たちからの情報をベースにしているからです。サンプル数は多いでしょうが、そもそもアメリカに移住しよう、アメリカでビジネスをしよう、アメリカが好きだといった理由でアメリカにいる人たちですから、中国全体を代表しているわけではありません。ですから、アメリカ人が持っている中国人観と、実際の中国人像の間にはギャップが生じていて、それが政治や経済にも影響しているんだと思います。

そういう意味で日本が学ぶべきなのはイギリスでしょう。よく知られていることかもしれませんが、イギリスの企業が社員を海外に派遣するとなると、20年とか30年といった単位で送り出すのです。短くても、10年とか20年は海外にいったきりになってしまいます。

例えば、イギリスには、ボーディングスクール(全寮制の学校)がありますよね。あの形式の教育機関が発達したのは、そうやって海外に送り出される社員の子弟のためです。海外に送り出される社員は、将来のトップエグゼクティブ候補たちですから、その子弟は本国で教育を受けさせたい。そこで、ボーディングスクールを作って、親2人がいなくてもちゃんとした教育が受けられる環境を整えたということです。

もちろん、20年も30年も海外にいたとしても、年金などの老後の保障も整っている。海外で定年を迎えて、本国に帰国したらカントリーサイドに家を買って、悠々自適な生活を送る。そんなシナリオを現実として描けるのですね。

税金の二重取りの免除などにも積極的です。赴任国で税金を払っているのであれば、本国の分は免除するよ、と。

ここまで整っていれば、社員が長期に海外にいくことに対する不安がなくなるし、20年30年単位で暮らすとなれば、生活者としての覚悟ができる。そういう人材が増えて初めて、本当のグローバル化は進むのだと思いますね。ビジネスのグローバル化というのは、国家プロジェクトなのです。

― 先ほどアメリカの話がでましたが、アメリカでの人のグローバル化というのはどうでしょうか?

アメリカは、「人」という意味ではグローバル化に失敗していると言えると思います。アメリカは人を長期的に外に出すということにはほとんど興味のない国ですから。ただし、アメリカの場合は、みんなが来てくれるんですよ。だから、「アメリカ国境中でのグローバル化」が進む、という面はあります。だから、人のグローバル化という点で、アメリカは日本の参考にはならないと思いますね。もし、日本企業が本当にグローバル化を考えるのであれば、やはりイギリスの方に学ぶべき点が多いでしょう。

― 今の日本企業の海外派遣は、そこまで徹底できていないように思います。

確かに、3年くらいの短いスパンで戻ってきてしまうケースが多い。現地で暮らすことでわかってくる社会観とか人間観というのは非常に大事だと思うのですが、短い期間、しかも現地の日本人たちとばかり付き合っていたりすると、生の現地情報を獲得する機会が極端に少ないというケースは少なくないでしょうね。

ただ、日本の企業の中にも、そういった間隙を縫うようにして、結果的に海外で長期間働いてきた人たちはいます。そういう人たちがグローバル化する日本企業のトップとして成功しているケースはあります。キヤノンの御手洗さんやパナソニックの中村さんなどはその例でしょう。

グローバル人材を仕組みとして育てきれない問題のひとつに、海外で成績を上げていて優秀だから、早くメインストリームに戻して経営者候補にしなければ、といった力学が働いてしまう、ということがあると思います。そればかりやってしまうと、真のグローバル人材を育てるモデルが崩れてしまいます。思い切って、海外要員は基本的に海外でキャリアを積んで、基本的に帰国させない。そのかわり、子供の教育やリタイヤ後のことは保障するというような、大胆な施策を取る必要があるかもしれません。

当然、海外赴任者用研修を赴任前に実施することなども必要だと思いますが、人事はもっとダイナミックに施策を考えていかないと、日本企業はグローバル化から取り残されていく危険があると認識した方がいいでしょうね。

たとえば、先日訪問した日本の大手製造業では、人事部員の7割が海外赴任の経験者でした。20年30年向こうで過ごしたというわけではありませんが、人事を企画する人たちの大半に実際の海外経験をさせているというのは、この会社のグローバル化に向けた本気度を示しているな、と感じました。

改めて長期的な価値を見直すときがきている

これは間接的に聞いた話ですがが、韓国のサムスンでは大学院卒の新入社員を、特に大きな業務担当を与えずに、1年間現地法人に赴任させていたそうです。しかも、現地の人の家にホームステイさせる。その国の人たちは冷蔵庫にどんなものを入れているのだろう、どんな風に買い物をするのだろうなど、実際の生活に触れさせるわけです。

また、同じくサムスンの話ですが、ある人材をトップクラスの人材だと認めると、海外留学に送り出します。しかし、MBAなんかには送らない。経済学とか、社会学とか、心理学とか、「土着」の部分が多い学部に送り込むそうです。MBAなんかに送っても、アメリカ型の経営を学ぶだけだから、と。例えば、サムスンの人事のトップには、東京大学の博士課程に留学して人がいます。。経済学部で、確か農業の歴史関係を研究されていたと思います。そのとき、日本の労使関係に興味が持って、私のところに訪ねてきてくれたこともありました。

― 短期的に目に見える結果というよりも、もっと本質的なものに価値を置いている感じがします。

確かに、今の日本の社会では、「効率的」に極端に重点が置かれてしまっていて、長期的な価値を生み出すということを軽視するようになってしまった気がしますね。

ちなみに、高木朋代さんの『高齢者雇用のマネジメント』などを読んでみると、現在、高齢者活用を実現できるのは、彼らが長期的な視野で育てられてきたからだ、ということがわかります。後輩に伝えていくような、価値のある技術や知識をしっかりと身につけているのです。

では、成果主義のもとで短期でどんどん成果を出せと言われてマネジメントされてきた人たちが、将来、未来を担っていく後輩たちに教えていくだけの技術や知識を習得できているかと言えば、正直疑問です。今の再雇用制度というのは、昔の長期的な教育の遺産の上にこそ成り立っているのですから。

リタイアしたあとに後輩に引き継いでいくだけの価値のある技能や熟練を持っている人材を育てられているのか。ホワイトカラーでも同じです。現在的価値ではなく、もっと本質的な価値の創造を見据えた教育をおろそかにしていると、将来必ずツケを払うことになるでしょうね。

― 現在的価値を見ているだけでは立ち行かなくなると?

時間に関しては、少し前に、神戸大学の加護野先生が興味深い指摘をされていました。会社の中にもいくつかの「時間感覚」があるというのです。経理部門が持っている時間感覚、研究開発部門が持っている時間感覚といった感じです。そして、それらは異なっていることが自然で、それを無理に一つにすることで生じる問題がある、ということを指摘されていました。ここでいう、各分野が持っている時間感覚というのは、アウトプット・成果の出る時間の感覚、と理解するとわかりやすいと思います。

そして、人事の時間感覚は20年から30年単位だと。本来はそうした時間単位で動くべき分野に、経理・会計の圧力で、四半期という時間単位を当てはめようとすることは問題だというのです。

先ほどのサムスンの話に戻って考えてみると、彼らがやっていることを「今ここでどんな価値を生み出すのか?」という判断基準だけで評価したら、ネガティブな評価しかでてこないでしょう。やはり、10年後、20年後、30年後というスパンで考えるから、価値を見いだせるし、実際に成果が出せる。

日本はバブル崩壊後に、企業内で経理・財務の力が強くなって、昔は自然に持っていた人事の時間感覚を失ってしまった企業が多いのだと思います。「経理は経理の感覚で行ってください、でも研究開発は研究開発の時間感覚で動いてください」といったセンスを持っている人事が少なくなってきていて、すべて経理の時間に合わせなければならない、といった考え方をする人が多くなってしまった。そして、そういう価値観の中で育ってきた人たちが人事部長や課長のポジションにつき始めている。だからこそ、今一度、人事のもつ時間感覚をということを、改めて見直してみる必要性が高まっているのではないでしょうか。

バブル崩壊後の復興過程で、正当なマネジメントの感覚というものが失われてきているように感じています。もちろん、あの時は必要な変革だった面もあります。ただ、今20年たって、「日本型の人材マネジメント」がいいとか悪いとかいう二項対立の議論に安住するのではなく、「そもそも人材マネジメントとは?」といった根源的な部分から考えなおしてみる、という発想で人事に関わっていくことが重要だと思います。

― 本日は、根源的な問題をいくつも提示していただいたと思います。どうもありがとうございました。

(取材/執筆  人材組織システム研究室 管理者 大島由起子)




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