- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授。東京大学大学院 学際情報学府 准教授(兼任)。北海道旭川市生まれ。東京大学教育学部、大阪大学大学院 人間科学研究科をへて、文部科学省メディア教育開発センター 助手、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学 大学総合教育研究センター 講師、2006年より現職。2003年、大阪大学より博士号授与。
「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人々の学習・成長・コミュニケーションについて研究している。専門は学習環境デザイン、人材開発論、組織学習論、コミュニケーションデザイン。共編著・共著に「企業内人材育成入門」「ダイアローグ 対話する組織」(ダイアモンド社)など多数。
研究の詳細は、Blog:NAKAHARA-LAB.NET
今年(2009年)、『ダイアローグ 対話する組織』という書籍を出版され、組織の中におけるコミュニケーションのあり方について、その問題点と可能性を提示なさっていましたが、組織のコミュニケーションという観点から、この動きをどうご覧になりますか?
教育学を研究する立場から見ると、理念を伝えるとか、理解して納得してもらうということは、まさに学習の問題です。
そして、多くの日本企業が、「理念浸透」を考える時、非常にプリミティブな学習手法を使っているな、というのが私の正直な感想です。
相手に理解・学習・共感してもらうためには、それなりのコミュニケーション手段を採用することが重要だと思うのです。そこに対する思索が必要なのではないでしょうか。
我々は、コミュニケーション活動を「情報伝達」とみなす傾向があります。これは、送り手から受け手へのメッセージの正確な移動をコミュニケーションと捉える、工学的な情報理論に基づいた考え方です。
情報を有形なモノとして捉え、情報の送り手と受け手の間にパイプのような流通経路があり、そのパイプにポンと情報を投げ込めばそのまま受け手に内容が伝わる、といったイメージです。これは「導管メタファー」と呼ばれますが、われわれは日常生活に限らずビジネスの世界でも、無意識にこうしたコミュニケーション観を持っているのではないでしょうか。このコミュニケーション観にたてば、理念浸透とは、社員の頭の中に「理念」を投げ入れることに他なりません。たいがい、こういう「注入」は、理解・共感といったものとは無縁になりがちです。お題目として理念を唱和することはできても、いっこうにして、その理解・共感は進まない。ですので、行動も変化しない。
企業が目指す「理念浸透」「ミッション・マネジメント」の本質は、社員の頭の中に理念を注入することではありません。重要なのは、従業員一人一人が、自分の職場で日々の仕事を遂行していくときに、どれだけ理念に沿った行動ができているか、ということでしょう。
そうであれは、情報が一方的に流れ、物理的に相手に届けば終わり、という「導管」型のコミュニケーションでは、「理念浸透」の目的達成のコミュニケーション手段としては不十分です。
しかし実際によく目にするのは、社員手帳に掲載するとか、職場に貼るとか、社内報を発行するといったものです。これらはすべて「導管」モデルのコミュニケーションです。もし、こうした施策だけで終わっているとしたら、すべて一方方向の情報伝達で終わってしまう可能性が高いと思います。
学習という観点から、理念やミッションが個人に受けいれられていく過程を考えてみましょう。その際に、キーワードになるのは「ラーニング」です。ミッションや理念を一方的にたたき込もうとする「ティーチング(teaching)」ではなく、自らが学び、その意味を問い直す「ラーニング(learning)」をめざすべきだと思います。
理念やミッションは「記憶されていること」が重要なのではありません。そうではなく、個人の「腹におち」、かつ、「日々の仕事の中で達成されること」が重要なのではないでしょうか。そうであるならば、理念やミッションのマネジメントとは、個人個人の仕事と企業・組織の目指すもののすりあわせの問題であって、そこには個別で多様なプロセスがあります。
ですから、「ティーチング」や「導管」モデルだけでは、本来の目的を達成することはできません。個々人に「ラーニング」が起こるようなコミュニケーション手段を取ることが、組織の理念・ミッションを本当の意味で、従業員に伝えていくためには有効なのです。そもそも、あなたが理念やミッションを伝える立場ならば、「組織の理念を浸透させたい」と思うかもしれません。しかし、あなたが、もし社員の立場にたつならば「他人に一方向的に理念を浸透されたい」とは願わないはずです。
理念の問題は、これまで「浸透」というメタファを用いて語られてきました。今一度、この発想から離れた方がいいように思います。「浸透」というのは、一方的なイメージを想起させるからです。そこに双方向性は感じられない、つまり、「自分」の入る余地がない。理念を共有したり、共感したり、納得する方法を考えていくことが重要でしょう。
そうですね、難しいですね。でも、それができない限りにおいて、ミッションマネジメントは成功しないのではないでしょうか。
我々は、日々仕事をしていくなかで、企業とか組織といった枠組みではあまりものを考えていません。たとえば私は東京大学に所属していますが、日々仕事をしているときには「東大」について意識していません。常に意識にあるのは、自分が関わっている「職場」、つまりは研究室です。そして、わたしは「仕事」、つまりは「研究」を意識しています。
しかし、東京大学にも理念があり、ミッションがあります。戦略があり、アクションプランがあるのです。そうしたものを、自分の職場や仕事と関連づけたり、意味づけたりして、納得するプロセスが重要なのではないでしょうか。そうした流れを作らないと、どうしても言葉の表面的な理解で終わってしまうのだと思います。
そう考えると、まず、理念やミッションをどういうメッセージとして表現するのかは重要でしょうね。
私は、理念やミッションは、非常に漠として曖昧なものでいいと考えています。あまりに明確なものにしてしまうと、「理念」というより「プラン」になってしまいますし、曖昧さがなくなってしまうと自分を入れて考える余地がなくなってしまいますから。
むしろ、「解釈可能性が高くてある程度あいまいで、かつ自分に関連度が高いもの」ということになるのではないかと思います。
例えば、三井物産は「よい仕事」という理念をかかげました。「よい仕事」は、どことなくわかるようで、非常に解釈にひらかれている言葉です。ミッションマネジメントでかかげられるミッションとは、こうした言葉のほうがよいのではないでしょうか。
自分の会社や組織で大事なことは何かということを、日々働いている人の視線から、良い意味の曖昧さをもちながら言い換えるのがいいのではないでしょうか?
それは、「えっ?」と思うような、ある種「変」な言葉でもいいのです。自分のこととして捉えられないような、もしくは解釈する可能性がないようなものより、ずっと意味のあるものになると思います。
私が所属している東京大学では、小宮山前総長のときに、「知の構造化」という理念を掲げました。簡単に言えば、知を、いろいろな形で生産して、まとめて、構造として提供していく、ということなのです。この言葉も、非常に曖昧で多様にひらかれている。でも、だからこそ、大学内の様々な人々が、この言葉と自分の仕事を関連づけることができたのです。
デンソーの経営理念を世界30カ国、10万人に浸透させるプロジェクトにコンサルタントとして参加した高津さん(高津尚志氏・現・株式会社ジェイフール 執行役員)が、キリスト教に長年携わってきた方に、キリスト教における布教のプロセスを学びにいったそうです。そこで、「布教の時代は終わりました。今は上から下に教えるということではなく、共に学ぶのです」と教えてもらい、その後のプロジェクトに大きなヒントを得たといいます。
その後、キリスト教教会が主催している講座に参加して、「共に学ぶ」体験をしました。まず神父がテーマについて、考え方を述べたあと、「賛成、反論、疑問、追加。何でもいいです。どうぞ」といって、参加者が一人ひとり意見を述べていきました。疑問や反論には即座に応えることはせず、ただ順番に話を続けてもらったそうです。
理念やミッションを、一人一人のものとしていくためには、ここで観られるような、ある種の「異議申し立て感」があることも重要だと思います。
自分の立場で考えられる余地がないと、結局は理念やミッションが机上の空論になってしまいます。例えば「顧客第一主義」と上から言われたら、おそらく企業人として意義申し立てをする余地はないでしょう。「それはそうだよね」と。
しかし、今の職場や仕事をベースに考えたら、実際の行動はずれているのではないか?とか、会社で言っている「顧客第一主義」と、自分たちが日々感じているものは違うのでは?といったことが出てくるはずです。こうしたことを吸収していける環境を作っていくことが、結果的には従業員一人一人が、自分の職場で日々の仕事を理念に沿った行動ができる、という本来の目的の達成に繋がると思っています。
また、理念がコロコロと変わるのはいかがかと思いますが、理念やそれに伴った組織文化を継続的に見直していくプロセスを視野に入れることも重要なことだろうと思います。
危険なのは、一時期だけ組織理念やミッションの「浸透」に非常に力を入れて、そのうちその活動がなくなっていってしまうことです。その一時期に「浸透」が成功していればいるほど、時間が経つにつれて、気がつかないうちに望むものと異なる方向へと流れていってしまう可能性があります。
ハーバードビジネススクールのジョン・コッター教授が興味深い研究を発表しています。企業の文化の強度が高ければ高いほど業績が出る一方で、長期的に見た場合、企業の文化強度が高いほどダメになっていくパターンもあると。
理念経営、ミッションマネジメントを成功させていくには、組織と個々人の継続的な双方向性を組み込んで考えていくことが肝要でしょう。
『ダイアローグ 対話する組織』が出たとき、組織内での「対話」の重要性を強調したためか、「要するに『昔に戻れ』ということですよね」というフィードバックを少なからずいただいて、驚きました。それが意図するところではまったくなかったからです。
いわゆる高度成長期の日本企業では、単一の価値観や規範が浸透して、家族のような結束力があり、お互いが「阿吽の呼吸」で理解しあって、同じ方向に進んでいく力がありました。組織の一体感を重視して、社内旅行や社内運動会などを通じた「緊密なコミュニケーション」も成立していたと思います。
その後、従業員の価値観の多様化が進み、組織内のコミュニケーションの改善が急務となった今、「昔の勢いを取り戻したい」ということで、社員運動会や社員寮を復活させて「緊密なコミュニケーション」を再構築しようとする動きもあるようです。
私の本も、その流れの中で読まれたのかもしれません。
しかし、高度成長期に「緊密なコミュニケーション」を実現できたのは、日本全体が大量生産を実現すれば、皆にとって昨日より今日、今日より明日が良くなるという、皆が共有できる「大きな物語」があったからです。
右肩上がりの経済が終焉し、顧客のニーズが多様化し、企業の取り組むべき課題自体が、流動的であいまいなものになっている現在、そうした「大きな物語」は、もはや存在しません。
社員寮や社内運動会の復活といったことが悪いことだとは思いませんが、そこで期待される「緊密なコミュニケーション」の復活は、個よりも組織を優先するという、隷属的な関係をも復活させてしまう危険性があります。
この図は以前参加したシンポジウムで使ったものなのですが、これからの企業は、組織と個人の関係として、左上を目指していくべきなのではないか、と思うのです。
組織との関係が良好 |
組織との関係が不良 | |
---|---|---|
個人として自立 |
◎ |
△(一匹オオカミ) |
個人として自立していない |
△(ムラ社会) |
×(お話になりません) |
昔ながらの「緊密なコミュニケーション」ばかりを求めてしまうと、左下の「ムラ社会」の世界に入ってしまう可能性があるのです。それでは、これからの時代は企業が生き抜いていくのは難しいのではないか、と。
個人として自立をしていながら、組織との関係を良好にしていくためには何ができるのか、その一つの解として、「対話」という考え方があるのではないかと考えています。
教育学の研究者の立場で企業の活動に関わっていくなかで感じるのは、突き詰めて考えていくと、企業理念を根付かせるプロセスとか組織内で個別に生じている問題の多くが、結局のところ学習やコミュニケーションの問題に起因しているのでは?ということです。
それを整理することなく、組織理念の浸透がうまくいかないから専門のコンサルタント、組織でのOJTがうまくいっていないからそのための研修と、部分最適で動いてしまっているのではないか?と思うのです。根本的な問題に立ち返ると、意外にシンプルな解決方法があるのではないでしょうか。
(取材/執筆 人材組織システム研究室 管理者 大島由起子)
次回は、学習院大学 今野浩一郎先生にお話を伺う予定です。
佐藤 博樹 氏「第29回 「ダイバーシティ経営」は、現代の適材適所の実現手段。その推進が強く求められている」
中島 宏 氏「第28回 人事トップでの経験を活かした事業経営で、自動運転タクシーの実現を目指す」
吉本 明加 氏「第27回 ダイバ―シティ実現には皆が納得することが重要。業界全体で解決するという視点を持つ。」
富永 由加里 氏「第26回 昇進すれば部下を幸せにできる 階段を上がる毎に見える景色は変わった」
吉川 剛史 氏「第25回 日本企業が「ローコンテクスト」の世界で成功していくために」
内海 房子 氏「第24回 社長が「我が事」と捉えている企業が、女性活用に成功している」
門脇 英晴 氏「第23回 世界観、歴史観を持って、多様なアジア市場で失敗・成功を体験してほしい」
リチャード・バイサウス氏「第22回 グローバル化の問題は、日本だけが直面しているわけではない」
桐原 保法 氏「第21回 マイノリティをどれだけ大事に扱えるかが、
イノベーションを起こし続けることができるか否かの鍵を握る」
西岡 由美 氏「第20回 高齢者対策はチャンス。高齢者活用のノウハウを人材の多様性に活かす。」
原 譲二 氏「第19回 コンセプチュアルに素晴らしくても現場が動かなければ意味がない。オリジナリティを持つことが重要」
中田 研一郎 氏「第18回 「多様性・異質性」を取り込みながら、世界に通用する普遍的な人事制度を」
脇坂 明 教授(博士)「第17回 企業の「ファミリーフレンドリー」度は、経営成功のカギを握る」
島貫 智行 氏「第16回 「正規と非正規の境界」に注目して見えてきた人材マネジメントの現状と今後」
Bryan Sherman(ブライアン・シャーマン)氏「第15回 これからの企業に「非グローバル人材」はいない。共通点に注目して現地を巻き込む」
伊藤 守 氏「第14回 ビジネストップはアスリートと同じ。コーチをつけずにアスリートは勝てるのか? (後半)」
伊藤 守 氏「第14回 ビジネストップはアスリートと同じ。コーチをつけずにアスリートは勝てるのか? (前半)」
淺羽 茂 教授「第13回 ファミリービジネス(所有と経営の一致)の「長期的」「継続性」「我慢強い」面から学ぶことがあるはずです。」
大滝 令嗣 教授「第12回 「グローバルビジネスリーダー」をスピード感をもって育てることがグローバル化成功の鍵」
西尾 久美子 准教授「第11回 舞妓さん育成に学ぶ 〜シビアな相互チェックと明快な評価制度の下での人材育成〜」
内田 恭彦 教授「第10回 次世代幹部候補育成のヒント 終身雇用にも異動にも、経済的な合理性がある」
坂爪 洋美 教授「第9回 立派な支援制度が揃っているのに、「結局は使えないよね」と思われていないでしょうか?」
西村 孝史 准教授「第8回 ソーシャルキャピタルは、従業員や組織にとって有効な概念として活用できると考えます」
池上 重輔 准教授「第7回 「戦略」と「人事・組織」のギャップが大きい企業は多い。人事も是非「戦略」の理解を。」
中島 豊 教授「第6回 ビジネススクールで学ぶことの本質は、ビジネスや仕事の「型」を学ぶことだと思います。」
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中原 淳准 教授「第4回 他人に一方向的に理念を浸透されたいとは願う人はいない。いい意味での「あいまいさ」が必要。」
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