- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
東京大学法学部卒業後、富士通に入社。1992年ミシガン大学ビジネススクール(MBA)卒業後、リーバイ・ストラウスジャパン、日本ゼネラルモーターズ(人事マネジャー)、ギャップジャパン(人事部長)、楽天(執行役員 人材本部長)を経て、現在、シティグループ証券株式会社人事部長。
2006年中央大学大学院総合政策研究科総合政策専攻博士後期課程修了(博士・総合政策)。
主な著作に、『非正規社員を活かす人材マネジメント』(日本経団連出版)、『経営戦略』(中央経済社)・『新・日本型人事制度のつくり方』(経営書院)・『人事の仕組みとルール』日本経団連出版など。
私自身がビジネススクールで何を学んだのかを考えた時、それはビジネスや仕事の「型」だった、と思っています。
私は、大学を卒業してすぐに日本の企業に就職しました。その当時のことを思い出してみると、先輩の指導を受けたり、先輩のやっていることを見たりして仕事を覚えていったわけですが、結局は「我流」だったな、と。体系立った「仕事の仕方」ということを、きちっと習った記憶がない。
しかし、いわゆる経営のお手本とされるような「いい会社」には、人を育てるメソドロジーがあります。トヨタ自動車にしても、本田技研工業にしても、グローバルに展開して成功を収めている企業は、その会社としての仕事の仕方を、きっちりと持っています。
そこでは、仕事をする人としてのあるべき姿が共有され、そこに到達するための道筋が明確になっていて、それを実現していくための方法論が確立しているのです。
通常、新しいことを始めるときには、始めに「型」を教えますよね。勉強や武道、稽古事など、皆そうです。そして、その型をベースに応用力をつけていく。いわゆる「守・破・離」です。
ところが、おそらくほとんどの日本企業はそういったものを明確に持っていない。むしろ、トヨタ自動車や本田技研などが例外と言っていいのかもしれません。
そんな状況のなかで、ビジネススクールというのは、個人個人が「我流」でやってきたことを、体系立てて理解してくための「道場」としての意義があるのではないかと思っています。
世界の動き・変化のスピードはどんどん早くなっています。ですから、ビジネススクールで学んだ個々の知識そのものは、卒業をして10年もしてしまえば使えないものになってしまう可能性も高いでしょう。以前は、先進しているアメリカのことを学ぶと数年後には日本で役に立ったという時期もありましたが、基本的には知識は時とともに古びていきます。
それでも、時間とお金をかけて勉強をしにいく価値は何か、と考えたときに、そこで身につける「型」が重要なのだと気がつきました。
例えば、アメリカのビジネススクールでは、プロジェクト型の課題が多い。私が90年代に留学した頃から、そういった方向に変わってきたと思います。ビジネススクールは、個々人が体系立った学問を知識として学んでいく場を提供するだけでなく、学生同士の共同作業の場を増やしていたのです。
プロジェクト型の課題を与えられた学生は、何かひとつの成果物を出すために、他のメンバーたちと共同して動かなくてはなりません。特にアメリカのビジネススクールでは、国籍、文化、経験など、バックグラウンドの異なるメンバーが集まっています。多様な価値観が存在するなかで、どのように議論をし、どうやって物事をまとめていったらいいのか、身を持って学ぶことになります。しかも、課題はリアルなビジネスに近いものが与えられますから、かなり生々しい体験をすることができるわけです。
「ビジネススクールで学んだことで今でも実践で役立っているのは、よく内容が把握できないような会議のなかで、いかにわかった顔をするか、だ」、などと、冗談めかして言うことがありますが、あながちまったくの冗談ではないんですよ(笑) 。
自分の得意ではないテーマの話し合いが、自分の母国語ではない言葉で行われていると、正直かなりきついときはありました。でも、参加者としてそこでボーッとしていてはだめで、その場に参加していると認識してもらいながら、決定的な失敗をしないで、次の集まりにも参加するためにはどうしたらいいのか。この事例は戦術的な話ですが、日々の仕事をしていくに当たっては、結構あなどれない処世術だったりします。そういうことも、実践に近い場で、身を持って学ぶことができるということです。
また、ご存じの方も多いと思いますが、アメリカのビジネススクールでは、大量の文献を読まされます。当時はフルタイムの学生でしたが、それでも追い付かないくらいの量のマテリアルが、容赦なくどさっと渡されます。
そこで、日本人学生同士で協力をして、手分けをして読んだりもしました。また、ある友人などは文献を小分けにして、冷蔵庫の前とかトイレの前など家中に置いておいて、事あるごとに目を通すといった工夫をしていました。
それでも、どんどん文献は溜まっていく。そこで、思い余って仲間何人かと、「こんな大量の文献をこんな短期間に読むのは無理だ」と教授に抗議したのです。すると教授は笑って、「君たちは、そんなことをビジネスの世界で言うことができるのですか?」と、「それらにちゃんと優先順位をつけて、マスターしていくのがビジネスパーソンじゃないのですか?」と言ったのです。
なるほど、と思いました。確かに、ビジネスの世界で大量の仕事を抱えることなんて、珍しいことでありません。大切なのは、それらをどう適切に処理していくのか。それを学んでいたのだと気がつきました。
後でアメリカ人の友人に聞いたら、「私だってこんな量の文献を、こんな短期間に精読できるわけがない」と言われました。ネイティブスピーカーだって、読み切れない量だったのです。彼らにしても、優先順位を付けて、ポイントだけをピックアップしていたのです。
日本に戻ってきて、外資系企業に転職したのですが、会議の進め方や、優先順位の付け方など、ビジネススクール時代に直面したシチュエーションがそこここにあって、実際に役に立ちました。グローバルなビジネスシーンに身を置くことが多くなってますます、ビジネスパーソンとしてどうやって振舞っていくべきなのか、知識もさることながら、「型」として身につけることの意義を感じています。
ですから、今日本のビジネススクールで教えるときにも、できる限りビジネスの現場で実際に起こりうる話をベースにして、ディスカッションなど学生同士のインタラクティブなコミュニケーションを誘発できる、参加型の授業を提供していきたいと思っています。
− ビジネススクールでビジネスの「型」を習得するというのは、グローバル化が進むなかで、ますます意義があるということですね。
そうだと思います。ただ、「型」を身につけることの重要性は、何もグローバル化が進む世界だけに限られるものではないと思っています。
先日、人事コンサルタントをしている友人が、「今の世の中で、本当に創造的な仕事をしているのは全体の3%に過ぎない。残りの97%はルーティンの枠にとどまっているのではないか」と言っていました。3%はちょっと少なく見積もりすぎではないかとも思いましたが、それでも、多く見積もったとしてもマニュアルのないようなクリエイティブな仕事をしているのは、2割がやっとではないかとは思っています。残りの8割は、マニュアルベースというか、決められた職務ベースの仕事をしているのが現実でしょう。
では、どうすれば、その2割に入っていけるのか。そのためには、実は、一旦「型」に戻ることが必要なんじゃないかと思っています。
全体の2割の、いわゆる戦略的な仕事に携わっている人たちというのは、やはりレベルが高い。彼らの間ではそのレベルに合わせた言語・ルールで話が進んでいます。その世界に入っていくためには、まずはその共通言語やルールを知らなければ話になりませんよね。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』の中の秋山真之が、戦略は天才にしか作れない、しかし戦略を作るだけでは天才は活きない。それを実行する人がいて初めて戦略を作れる天才が活きるのだ、と言っているのを読みました。そして、戦略を教える海軍大学校の教育は、その天才の考えた戦略を理解して実行する人を養成するために必要なのだ、と。
ビジネススクールも同じなのではないか、と思うわけです。経営の天才という人は存在します。松下幸之助さんなどはそうかもしれない。そうした人たちの言葉をちゃんと理解して、それを現場に展開できる力を身につけていける場が、ビジネススクールなんだと。
確かに、現場の経験は非常に大事です。しかし、現場でたたき上げてきただけでは、自分のエリアだけの知識・視点に留まってしまう可能性が高いでしょう。その世界の話は深く理解していたとしても、そこから一歩外に出て、ビジネス全体の戦略を考えるという領域に入っていくと、基礎知識が不足していて話についていけないのです。ビジネススクールは、そうした状況から脱却して次のステップに進むために、非常に有効な場だと思います。
また、最近は、企業の管理職の仕事の難易度が高くなってきています。しかも、全員が順番を待っていれば管理職になれる時代でもなくなっていますよね。その中で、管理職になり、成果を出していくためにも、やはり「型」を身につけていることが重要になっていると思います。
ビジネススクールで学ぶということは、一度自分自身をリコンストラクション(再構築)する、非常によい機会です。仕事の進め方や、価値観の異なる集団のまとめ方、リーダーシップの理解など、知らず知らずのうちに我流になっている可能性が高い。もし、そのレベルで留まっているようでは、企業としては難易度が高い管理職の仕事をまかせられないし、もしラッキーにも要職についたとしても、成果を出すことは難しいでしょう。ですから、そういう自分を一度壊してみて、それを再構築していく。そうすることで、ビジネスパーソンとしての幅と深みを広げていくことができるはずです。
私自身、アメリカでMBAを取得した後、日本で管理職として働きながら、7年かけて博士号を取得しました。正直なところ、今の日本で博士号をもっていても、企業に所属するビジネスパーソンとしてのメリットはほとんどありませんが(笑)、それでも続けていけたのは、単純に「面白かった」からです。
社会人経験がある人は、個人差はあるでしょうが、何らかの具体的な問題意識を持っています。それを突き詰めていこうとする活動なので、基本的には面白いはず。ですから、自分の具体的な問題意識と紐づけながら勉強するのがコツかもしれません。
では、ビジネスの中で、自分の具体的な問題意識が出てくるのはいつ頃か。少なくとも一通りの育成期間を経て、自分なりに進みたい方向が見えてきてからではないか、と思います。
アメリカのビジネススクールでは、大学卒ではいい企業に就職しづらいために、20代の学生が多く入学してくるのですが、日本のビジネススクールに働きながら通っているのは、30代・40代の方が多いと思います。それくらいのキャリアを積んでいると、通常、会社で多くの責任のある仕事を任されているはずです。
時間的には大変だと思うかもしれませんが、そういう人たちは、質の良い生きた経験を積み上げていて、結果として問題意識も高い場合が多い。ですから、ビジネススクールで高いモチベーションを維持して成果を得ていくことを考えると、仕事で脂ののった30代・40代というのは、悪くないタイミングだと思っています。
そうですね。少し前までは、「社会人が大学院に通う」ということに対する理解がない企業も少なくなかったように思います。私も留学から戻ってきたとき、当時の上司に「もう勉強はここまでだからな」と言われました。
知り合いや学生たちからは、「大学院に行くなんて、お前は暇なんだな」とか「お前は会社を辞める気なのか」といった嫌味を言われたという話を耳にしました。そのため、大学院に通っていることを会社に隠している人もいました。
では、会社からサポートを受けずに自力で卒業した人がどうするかと言えば、会社に感謝の気持ちがまったくないですから、結局転職してしまうケースが少なくない。これはもったいない話です。
確かに、社員をビジネススクールに送り出していく制度を作るというところまで、すぐには踏み込めない会社も多いと思います。しかし、少なくとも自力で学ぼうとしている社員に理解を示して、ある程度の時間的な融通をつけるということはできるのではないかと思っています。
例えば、週に2回は、5時半に会社を出るように奨励する、といったことです。
前半でお話したように、ビジネススクールの意義を理解して勉強をすれば、その成果を確実に実際のビジネスで役立てることができます。それを、社員が自腹を切って勉強してくれるわけですから、企業にとって大変良い話であるはずです。彼らを活用しないなんて、もったいないと思いませんか。
時間的な配慮をしていくことには、コストはかかりません。まずは、そういう意識でビジネスや仕事の「型」を学び、高度な仕事をしていくための共通言語を理解しようとする社員をサポートしていっていただきたいと思います。
ただ、最近はビジネススクールに通うことに対する認識が変わってきたな、とは感じています。大学院の入試の面接で、どうして志願したのかと聞いたとき、「上司が勧めてくれました」という人が結構増えてきましたから。こうした流れがどんどん加速していくことを期待したいですね。
ドクターとビジネススクール(大学院・修士)の違いは、ビジネススクールが今回お話したように「型を学ぶ」ところだとすれば、ドクターは「型を作る」ところなんですね。アメリカなどでは、教育学や心理学、統計学といった分野のドクターを取った人たちが、企業の人的資源管理の仕事に就いて、それぞれの研究を生かして教育体系を作ったりしています。ただし、まだまだ日本ではそういう文化はありませんが。
社会人をしながら博士課程を取得するといっても、多くの人にとってわからないことだらけでしょうから、尻込みをしてしまうかもしれません。ただ、知ってしまえば挑戦したいと思う人が増えるかもしれませんね。問題意識があって、既存の「型」を学ぶだけではなく、「型」自体について考えてみたいと思えば、とても面白い経験だからです。私の7年間のドクターへの挑戦は、半分、趣味、気分転換のようになっていました(笑)。
残念ながら、日本の企業の中で、「ドクターを持っているからこんなに得!」ということはまだまだないと思いますが、興味のある方は是非調べてみてください。
取材・文: 大島由起子(研究室管理人)/取材協力: 楠田祐 (戦略的人材マネジメント研究所)
(2009年12月)
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