- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
博士(商学)。2001年に立教大学大学院経済学研究科修士課程修了後、日立製作所に入社。人事部門に勤務する。2005年に同社を退社し、一橋大学大学院商学研究科博士課程に入学、人材マネジメントを専攻する。2008年より現職。主な論文として、「企業内労働市場の分化とその規定要因」(『日本労働研究雑誌』No.586 2009年一橋大学大学院守島基博教授と共著)などがある。
そもそもソーシャルキャピタルという概念が使われてきたのは、経済学や、政治学、社会学といった分野でした。
「窓割れ理論」というのはご存じですか?一つでも窓が壊れている建物があるのを放置すると、その地域は誰も注意を払っていないという象徴となって、治安が悪化して他の窓もやがて全て壊される、という考え方です。ですから、窓が割れているような建物をなくしていこう、それを維持していくためには、その地域の共同体としての質を上げていこう、という話になる。例えば、健全な共同体を形成する一つの要素として、ソーシャルキャピタルという概念が使われています。
ソーシャルキャピタルは、一般的には「社会資本」とか「社会関係資本」と言われます。もう少し噛み砕いていうと、「関係性の中に存在する資源」「他者から自発的な支援が得られる関係性」と定義されます。誰かが単独で所有しているものではなく、人と人との間にある関係の中に存在するものです。実務の世界では「人脈」というと分かりやすいと思います。
ですからソーシャルキャピタルは「(埋め込まれた)状況」とも言い換えることができるものですが、経営学や組織論の分野にもそういった考え方を持ち込んだ議論が10年ほど前から出てきて拡がってきているところです。日本でも関連する論文が見られるようになりました。おそらく、ここ5年、10年で、経営、組織、人事といった分野でも市民権を得て、実務の世界にも浸透していくのではないかと思っています。
少し前から、「エンプロイアビリティ」という言葉が出てきました。「雇用される能力」ということになります。
この「エンプロイアビリティ」とは何かと突き詰めて考えていくと、「余人を持って代え難し」と言われるものを個人がどれだけ持つか、ということになるだろうと。では、なにが「余人を持って代え難し」なのか。それを探っていくと、スキルや知識だけでなく、その人が会社の中で持っている関係性、他の人からの助けを得たり、自分の仕事を周囲との関係の中で上手く進めていく力なのではないか、ということが見えてきました。
今高齢者雇用に関しても調査をしているのですが、誰を継続雇用しようかという議論になったときに、重要な要因のひとつとして、その人が社内でいかに有効な人脈や周囲との良好な関係性をもっているかという点が実際に上がってきます。
また、ソーシャルキャピタルを少し異なった視点から捉えると、「他の人から自発的に手助けが得られる関係」、「職場内で自身の状況を正しく理解してもらえる関係」、「職場でのルールを共有できている関係」といったものが下位概念として含まれています。つまり、組織が円滑に運営されるためのインフラとしてソーシャルキャピタルがプラスに機能するわけです。
この3つの集合体がソーシャルキャピタルであるとすれば、ポジションや職種などによっても3つの割合は変化します。すなわち、一口にソーシャルキャピタルといっても質的に異なる様々な「ソーシャルキャピタル」が存在するわけです。
このような意義を持つソーシャルキャピタルの考え方をHRMの世界で活用していくというのはまだまだ新しい考え方ですが、その有用性は高いと思っています。
確かに、一般的な経営学のアプローチからすると、ソーシャルキャピタルをマネジメントするというのは少し異質な考え方です。
経営学の教科書によると、企業には公式の階層組織があるけれど、同時に裏では非公式的な組織も存在していて、共存している、表裏一体とされています。そして、ソーシャルキャピタルは、非公式的な組織が大きな影響を与えると考えられています。つまり、ソーシャルキャピタルを人工的に操作するということは、非公式な組織に企業がタッチすることになるので、経営学的にはあまり考えてこられなかったアプローチです。
しかし、私はソーシャルキャピタルをある程度マネジメントすることは可能なのではないかと考えています。
実際に、ある企業で、「仕事上のアドバイスが欲しい時に相談する人」について調査を行ったことがあります。すると、人事異動・ジョブローテーションを経験した人物を挙げる人が多い、という結果が出ました。
特に、異なる分野を経験した人への期待が大きい。当然ではあるのですが、そういう人は、ひとつのことを違った視点で見ることができます。ですから、両論提示をしてくれて、クリアなアドバイスが貰える、というわけです。
「人事異動」や「ジョブローテーション」は、このような人物を増やしていくことに寄与します。人事異動が持つ人材育成効果は、スキルや知識の拡大、あるいは視点の変化から語られることが多いのですが、こうした社内の人脈の形成や異質な組み合わせを作ることにも貢献します。
同時に、異動した本人はもちろん、異動先の従業員の社内人脈を広げることにもなります。
人脈は一般的に、その人の性格と置かれているポジションが大きな影響力を持っていると考えられていますが、このように、「人事異動」や「ジョブローテーション」を通じて、意図的に強化していくこともできるわけです。
また、上司と部下の関係について興味深い調査結果があります。
同じ「上司・部下」関係でも、通常の指揮・命令系統の範囲だけで留まっている場合と、それを超えた関係を結んでいる場合があると思います。そこで、その違いを生み出しているものは何なのか、インタビューで上司と部下それぞれに相手をどのように捉えているかを尋ねました。
「上司に何でも話します」と言う部下を持っている上司の方々を観察していると、過去に自分の上司から受けてきたマネジメントを自分なりにアレンジして、部下に合わせた形で行っているということがわかってきました。もちろん、会社での規則やルール内での許される範囲でということですが、そうすることで、インタラクティブな関係が出来上がっていくのです。
もちろん、そうしたことが自然にできる資質のある人もいるでしょうが、その偶発性を待つのではなく、異動やローテーションを意図的に活用して、意思を持ってそうした関係性ができる土壌を作っていくことも可能だろう、と考えているわけです。こちらは、組織開発にも通じる話ですね。
また、社内コミュニティの多さが、従業員のソーシャルキャピタルと正の相関関係があること明らかになっています。つまり、会社が様々な形のコミュニティを提供できていると、ソーシャルキャピタルが形成されやすいということです。コミュニティへの参加は強制できませんが、少なくとも環境を整えることで、社内の様々な人とつながり、ソーシャルキャピタルを形成していくということも可能でしょう。
以前、雇用と評価とソーシャルキャピタルについて調査した結果があります。この2つに注目したのは、雇用と評価の変化が、ここ15年くらいの間に日本企業で起きた大きな変化だからです。
まず、雇用方針。長期雇用の度合いが高い場合と低い場合、どちらが従業員のソーシャルキャピタルを形成しやすいかと言えば、長期雇用度合の高い企業の方が確実に形成しやすいという調査結果が出ました。
では、成果主義はどうか。これはソーシャルキャピタルの形成とは直接的な関係(効果)は見られませんでした。
次に、長期雇用度合いの高低と、成果主義の度合いの高低で、それぞれ軸を引き、クロスさせて4つの枠を作ってみます。長期雇用度<低>/成果主義度<高>、長期雇用度<高>/成果主義度<低>という通常考えられる組み合わせのグループと、長期雇用度<高>/成果主義度<高>、長期雇用度<低>/成果主義度<低>のハイブリッド型のグループができますね。
この中で、どの組み合わせが一番ソーシャルキャピタルを形成できていると思いますか?実は、長期雇用度<高>/成果主義度<高>、長期雇用だけれども、成果主義を入れているというハイブリッド型の企業のポイントが一番高いという結果が出たのです。
これは、成果主義自体はソーシャルキャピタル形成に直接的な効果がなかったとしても、長期雇用という文脈の中では間接的な効果を発揮している、と見ることができます。
成果主義というと、職場がギスギスする、お互いに助け合わなくなるなどネガティブに語られることが多かったと思いますが、実は長期雇用が実現されている職場では、プラスに働く面も見えてきたということです。
これはよく考えてみると当然のことで、付き合いが長くなれば、誰には何をどのように頼むのがいいという知恵が溜まってくるでしょうし、誰はどういうときに助けてあげようといった決定基準もできてくるはずです。そこで成果が明確に求められれば、自分の成果を高めるためにも関係性をできるだけ良い形で構築しようと考える、というのは不思議ではありません。
ですから、成果主義=ギスギスを生み出すという認識は一面を捉えているのであって、置かれる状況によって違った効果、ソーシャルキャピタル形成にプラスの効果を出しうると言えるでしょう。
戦略人事を考える際には、フィットとフレキシビリティという2つの概念を持つことが重要です。
戦略人事では、ビジネスの戦略を実行するために必要なHRMを考えて実行していきます。そのHRMが機能するためには、実際の戦略とか環境に合致(フィット)していることが重要です。
ただし、それがフィットしすぎてしまうと、今度は戦略や環境が変わったときに、その変化に対応できなくなってしまうという面がある。あまりにすべてががっちりと上手くかみ合っているがゆえに、たったひとつの歯車が変化しただけで、それだけを対症療法的に変えてももはや全体が機能せず、すべてを変えなければならなくなってしまうということ(原因療法)が起こりうるからです。
そこで出てくるのが、フレキシビリティ(柔軟性)です。戦略や環境は変わっていくものですから、何かひとつ変わるたびに全取り替えをしていては、ビジネスの展開についてはいけません。
ですから、フィットとこのフレキシビリティをいかに両立させていくかが、戦略人事においては重要になるわけです。
では、HRMにおいてのフレキシビリティとは何か?そこには3つのフレキシビリティがあると考えられます。ひとつは従業員のスキル柔軟性。二つ目が、従業員の行動柔軟性。そして三つ目が、HR施策柔軟性です。
従業員のスキル柔軟性とは、従業員がジョブローテーションなどで異なるポジションを与えられてもすぐに対応できるスキルを持っているということです。スキルの多様性と言えるかもしれません。
従業員の行動柔軟性。これはスキル柔軟性に似てはいるのですが、こちらは学習能力の面を指しています。どんなポジションに行っても、すぐに学習をして適応できる能力です。
最後のHR施策柔軟性は、会社の人事施策を部門や職種に関係なく一律に決めてしまうのではなく、それぞれの処遇に柔軟性を持たせた形で設計していくことを指します。人事施策にどれだけ現場の裁量権があるのかというのも関係すると思います。
そこで、これらのフレキシビリティがソーシャルキャピタル形成にどのような影響を及ぼしているのか、調べてみました。すると、2番目の「行動柔軟性」だけが、ソーシャルキャピタル形成に直接的影響があるという正の相関関係があることがわかりました。
つまり、「行動柔軟性」は、戦略人事におけるフィットとフレキシビリティを両立させていく機能を果たすだけではなく、従業員のソーシャルキャピタルを高めていく役割も果たしうる、ということです。
こうした「行動柔軟性」の特長を理解してHRM(戦略人事)を実行していくことで、戦略人事の目的を実現しながら、企業のソーシャルキャピタルを高めていくことが可能になるのではないでしょうか?
確かに、「他者から自発的な支援をもらう」資質の傾向は見えてきています。調査では、個人のパーソナリティも調べていますが、外向性と相関関係があるという結果が出ています。
では、採用時の適性検査などで、外向性が高い人ばかりを採用すればいいか、といえば、今度はフレキシビリティや多様性の問題に突き当たります。そういった人材だけで、戦略や環境にフィットし続けていくことができるのかといえば、それは難しいでしょう。
ですから、資質としてのソーシャルキャピタルを獲得しやすい人だけで考えるのではなく、そうではない人に対してはどのような施策ができるのか、という発想が必要になるのではないでしょうか。
ただこれは、実際問題としては難しい面もあります。例えば、クリエイティブな仕事で力を発揮しているシャイな人物が、自分の弱みを克服したい、自分の可能性を広げたいから、「営業にしてください」といったら、経営者はそれを受け入れられるかどうか。ソーシャルキャピタルという観点からみたら、得るものは多いはずですが、彼/彼女がやっていた仕事の質が一時的に下がる可能性がある、しかも異動先の営業では実績を上げるのに時間がかかるだろう。こういった直近のリスクを取れるのか、という問題はありますね。
ここで興味深い例で、ソーシャルキャピタルの本質についておさらいしてみましょう。
ハリウッドを舞台にした、ちょっと面白い調査があります。ハリウッドで一番顔の広い俳優は誰かという調査です。あるハリウッド俳優と共演した人を1人目(No.1)として、そのNo.1になった人と共演した人を2人目(No.2)と位置づけて、同じようにマッピングしていくと、ある俳優はハリウッドのほとんどの俳優とNo.3以内の関係の中に入る、というのです。この俳優がハリウッドで一番顔が広いと。この俳優が誰だがわかりますか?ケビン・ベーコンです。名前を聞いてピンと来ない方も少なくないのではないでしょうか?デビュー当時は青春映画のスターだったものの、その後多くの脇役をこなし、個性派・実力派の俳優として評価されている俳優です。
何故彼がそのような存在になったかというと、彼はとにかく、様々な種類の映画で、いろいろな役柄を演じているのです。ですから、映画毎に共演者の傾向がまったく異なることが多い。だから、つなげていくと、3人目でほとんどのハリウッド映画俳優にたどり着いてしまう、というわけです。もし、特定の役柄に固定されると共演者も同じような人になりますが、彼のように役柄の幅がこれだけ広いと接する役者も多くなるわけです。これは、ソーシャルキャピタルの性質を表しているエピソードの一つだと思いますね。
私がこういった研究をしているモチベーションの一つでもあり、企業で働いているときから感じていたことでもあるのですが、「なぜどの企業も似たような人事施策を導入しているのだろう?」「どうして企業の人事部門は、どこも同じようになっているのだろう?」という問題意識があります。隣の会社の真似をしていることに疑問や危機感を持っているように感じられない。人事部門や人事施策があまりに戦略とか、会社の事業領域から切り離されてしまっているのではないか。しかも、人事の中でも、採用や教育といった分野に細分化されていって、ますます会社全体の方向性といったことから乖離していき、小さい分野のテクニカルな話に終始して、「職人」になっていってしまう。また、本屋さんに行くと人事労務のテクニックに関する本がたくさんあって、「職人」になることを助長しているように思えます。
これからの人事には、戦略人事として職人的知識や社員の家族構成や異動歴まで熟知した「生き字引」として会社に貢献するだけではなく、データを読み解くといった科学的なリテラシーも求められているように感じています。例えば、どんな面接官が入社後に活躍する従業員を採用しているのかといった追跡調査や異動歴と査定の関係など、単純な折れ線グラフや棒グラフのレベルを超えて、相関関係や因果関係といったことまで考えていける力も必要になってきています。そのことに気がついて、もっとオープンで、戦略に寄り添った活動をしていっていただきたい、と思っています。
取材・文 大島由起子(当研究室管理人) /取材協力: 楠田祐 (戦略的人材マネジメント研究所
(2010年2月)
佐藤 博樹 氏「第29回 「ダイバーシティ経営」は、現代の適材適所の実現手段。その推進が強く求められている」
中島 宏 氏「第28回 人事トップでの経験を活かした事業経営で、自動運転タクシーの実現を目指す」
吉本 明加 氏「第27回 ダイバ―シティ実現には皆が納得することが重要。業界全体で解決するという視点を持つ。」
富永 由加里 氏「第26回 昇進すれば部下を幸せにできる 階段を上がる毎に見える景色は変わった」
吉川 剛史 氏「第25回 日本企業が「ローコンテクスト」の世界で成功していくために」
内海 房子 氏「第24回 社長が「我が事」と捉えている企業が、女性活用に成功している」
門脇 英晴 氏「第23回 世界観、歴史観を持って、多様なアジア市場で失敗・成功を体験してほしい」
リチャード・バイサウス氏「第22回 グローバル化の問題は、日本だけが直面しているわけではない」
桐原 保法 氏「第21回 マイノリティをどれだけ大事に扱えるかが、
イノベーションを起こし続けることができるか否かの鍵を握る」
西岡 由美 氏「第20回 高齢者対策はチャンス。高齢者活用のノウハウを人材の多様性に活かす。」
原 譲二 氏「第19回 コンセプチュアルに素晴らしくても現場が動かなければ意味がない。オリジナリティを持つことが重要」
中田 研一郎 氏「第18回 「多様性・異質性」を取り込みながら、世界に通用する普遍的な人事制度を」
脇坂 明 教授(博士)「第17回 企業の「ファミリーフレンドリー」度は、経営成功のカギを握る」
島貫 智行 氏「第16回 「正規と非正規の境界」に注目して見えてきた人材マネジメントの現状と今後」
Bryan Sherman(ブライアン・シャーマン)氏「第15回 これからの企業に「非グローバル人材」はいない。共通点に注目して現地を巻き込む」
伊藤 守 氏「第14回 ビジネストップはアスリートと同じ。コーチをつけずにアスリートは勝てるのか? (後半)」
伊藤 守 氏「第14回 ビジネストップはアスリートと同じ。コーチをつけずにアスリートは勝てるのか? (前半)」
淺羽 茂 教授「第13回 ファミリービジネス(所有と経営の一致)の「長期的」「継続性」「我慢強い」面から学ぶことがあるはずです。」
大滝 令嗣 教授「第12回 「グローバルビジネスリーダー」をスピード感をもって育てることがグローバル化成功の鍵」
西尾 久美子 准教授「第11回 舞妓さん育成に学ぶ 〜シビアな相互チェックと明快な評価制度の下での人材育成〜」
内田 恭彦 教授「第10回 次世代幹部候補育成のヒント 終身雇用にも異動にも、経済的な合理性がある」
坂爪 洋美 教授「第9回 立派な支援制度が揃っているのに、「結局は使えないよね」と思われていないでしょうか?」
西村 孝史 准教授「第8回 ソーシャルキャピタルは、従業員や組織にとって有効な概念として活用できると考えます」
池上 重輔 准教授「第7回 「戦略」と「人事・組織」のギャップが大きい企業は多い。人事も是非「戦略」の理解を。」
中島 豊 教授「第6回 ビジネススクールで学ぶことの本質は、ビジネスや仕事の「型」を学ぶことだと思います。」
今野 浩一郎 教授「第5回 「文系学生が勉強しない」「学生の理系離れが進んでいる」のには、企業にも責任がある」
中原 淳准 教授「第4回 他人に一方向的に理念を浸透されたいとは願う人はいない。いい意味での「あいまいさ」が必要。」
佐藤 博樹 教授「第3回 制度で競うな! 人事は「ワークライフ・バランス」など知らなくてもよい。」