- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
和光大学現代人間学部心理教育学科教授、博士(経営学)。1989年慶應義塾大学文学部卒業。人材紹介業勤務を経て、1996年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。2001年慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程単位取得退学。2000年和光大学人間関係学部専任講師。2004年より同准教授。2009年より現職。専攻は産業・組織心理学、人的資源管理。主な著書:『キャリア・オリエンテーション―個人の働き方に影響を与える要因』(白桃書房・2008年)。
大学での研究に入る前に、6年ほど企業で産業カウンセラーをしていたのですが、その頃から「従業員の働きやすさ」について興味を持っていました。人生の20代から60代は、働くことが生活の中心になりますよね。それがうまくいっていないと、人生の土台が揺らぎます。産業カウンセラーとして、そうした危機に直面する方々と向かい合うなかで、どうしたら働くことを楽しく充実させることができるか、に関心を抱くようになったのです。現在、両立支援、ワークライフバランスといった問題に取り組んでいるのも、その延長線上にあります。
特にここ3〜4年は、両立支援・ワークライフバランスという考え方が一般的に広がっていくなかで、それらが本当に、企業の中で従業員の活用と結びついているのか、不十分だとしたら何を考えるべきなのか、ということをテーマのひとつにしています。
両立支援制度というのは、利用する人が限定される制度です。つまり、充実させればさせるほど、取らない、もしくは取れない人に、不公平感を与えてしまうという危険性をはらんでいます。
そうした問題意識をベースに、2008年、両立支援制度は、全従業員に対してどのような影響を及ぼすのか、という調査・研究を行いました。221社、1256名のデータを基にしています。
調査では、従業員を、両立支援制度に対する心理的距離によって、以下の3つのグループに分類しました。
1. 両立支援制度を、利用したこともないし、これから利用する意向もない ・・・ グループ1
2. 両立支援制度を、利用したことはないが、これから利用してみたいと思う ・・・ グループ2
3. 両立支援制度を、利用したことがある ・・・ グループ3
そこで、両立支援制度が、それぞれのグループに対してどのような効果をもたらすのか。また、その効果を生み出す要因は何なのかについて調べました。制度そのものだけではなく、運用面で効果に影響を与える要因についても調査の対象としています。
効果を生み出す要因としては、
1. 自社のワークライフバランスへの積極性認知: 従業員が、自社のワークライフバランスに対する取り組みが積極的であると認知しているか否か。
2. 両立支援策: (1)両立支援策の充実度、(2)運用上の各種取り組み、(3)上司が管理職に求められる行動(積極的なコミュニケーションなど)を理解しているか否か
3. 上司のワークライフバランスへの評価: 従業員の直属の上司がワークライフバランスを肯定的に評価しているか否か。
を検討対象としています。
効果については、
(1) 就業意欲への効果: この会社で長く働いていたいと思う。
(2) 「仕事への意欲(モチベーション)」への効果: 仕事に積極的に取り組みたいと思う。
を、指標にしました。
<グループ1>
まず、「自分には関係なかったし、これからも関係ない」と思っているグループ1、一番心理的距離が遠い人たちに対しても、両立支援制度が何らかの影響力を持つのか、ご説明しましょう。
彼らの就業意欲を高めるもの
・ 自社のワークライフバランスへの積極性認知
彼らの就業意欲を阻害するもの
・ 支援策利用者のサポート
まず、グループ1であっても、自社がワークライフバランスに対して積極的に取り組んでいると認知することには、就業意欲を高める効果がある、という結果が出ました。つまり、「ウチの会社は従業員の働きやすさといったことに考慮してくれる会社なのだ」と思えることが、制度の利用の有無にかかわらず、会社に長く勤めようという意欲につながる、ということです。
しかし、一方で、具体的な制度の充実、支援策利用者のサポートや彼らの存在をPRするといったことがなされすぎると、逆に就業意欲は低下するという結果が出ています。制度を利用するつもりがない、ということは、彼らにとっては今の働き方がフィットしていて、問題がないと感じている、ということです。ですから、あまりも、「こういう働き方もできるよ」「こんな働き方はいいよ」といったことが強調されると、これまでの自分たちの働き方を否定される感じを受けるのだろうと思います。
<グループ2>
では、次に、グループ2についてみていきましょう。
彼らの就業意欲を高めるもの
・ 自社のワークライフバランスへの積極性認知
・ 支援制度の充実
彼らの就業意欲も高め、仕事への意欲(モチベーション)も高めるもの
・ 評価の公平性
・ 上司がワークライフバランスを肯定的に評価していること
仕事への意欲(モチベーション)を高めるもの
・ 上司がWLBを推進する上で管理職として求められる行動を理解していること
このグループでは、「自社のワークライフバランスへの積極的な取り組みへの認知」はもちろん、「支援制度の充実」にも、就業意欲を高めるのに効果があることがわかりました。ただし、これらには、仕事への意欲(モチベーション)を高める効果は見られませんでした。
グループ2の就業意欲を高め、仕事への意欲にも影響を与えるものは、「評価の公平性」と、「制度に対する上司の肯定的評価」でした。
最初の「評価の公平性」には2つの側面があります。
ひとつは、制度を利用した人が必要以上に不利に扱われていないか、ということ。もうひとつは、矛盾して聞こえるかもしれませんが、取っている人が優遇されて得をして、利用していない自分たちが損をしていないか、ということです。つまり、差がついてないと納得できないけれど、差が大きすぎるのも困る、ということですね。
「制度に対する上司の肯定的な評価」が出てくるということは、グループ3と比較するとわかるのですが、実際の行動というよりも、環境の認識に影響されていることを示していると言えるでしょう。
<グループ3>
最後に、実際に制度を活用した人たちです。
就業意欲を高めるもの
・ 自社のワークライフバランスへの積極性認知
・ 支援制度の充実
・ 評価への公平性
仕事への意欲(モチベーション)を高めるもの
・ 両立支援策利用者がいることを加味した職場の評価の仕組みがあること
・ 上司がWLBを推進する上で管理職として求められる行動を理解していること
グループ2と比較すると、実際に利用しているため、「会社がどうか」「上司の意識がどうか」という一般的な環境よりも、「上司の実際の行動」や「自分が受ける具体的な評価」によって、仕事へのモチベーションが高まっているのがわかります。
これらの調査結果を俯瞰してまとめてみると、
■ 会社がワークライフバランス実現に積極的であると認識されることは、利用の有無にかかわらず、従業員全般の就業意欲を高める。
■ 両立支援策の充実は、利用経験者・利用意向を持つ従業員の就業意欲を高める。
■ 評価の公平性を高める運用が重要である。ただし、公平性を具現化する対象は従業員グループで異なる。
・ 利用意向のある従業員: 仕組みの構築
・ 利用経験のある従業員: 直属の上司
■ 制度の成功には、管理職が重要である。ただし、管理職のどの側面が影響を与えるかは、従業員グループで異なる。
・ 利用意向のある従業員: 管理職がワークライフバランスを肯定的に評価していること
・ 利用経験のある従業員: 上司の具体的な行動
といったことが見えてきました。両立支援制度を定着させていくには、従業員の心理的な距離による要因・効果の違いを理解したうえで、単に制度を充実させるだけでなく、運用の側面にも注目することが重要である、ということができるでしょう。
そもそも、評価というのは働く人たちにとって関心が高いところです。従って評価の公平性の問題は、決して両立支援策やワークライフバランスの分野だけでの問題ではありません。
休職者や短時間勤務者を評価する難しさは、彼らと通常勤務の人々との「違い」をどう査定し、納得性のあるものとするのかという点にあります。ただ、両立支援の場合特に難しいのは、時間短縮で働いていた人たちが、元の労働時間に戻ってくるという点です。制度利用者が出てくると、時短勤務のあとフルタイムで戻ってきたときを見据えながら、その人たちの昇進や昇格をどうするかという問題が必ず発生します。一時点での「評価の公平性」を超えて、一時的な違いが将来の昇進・昇格に対して、どの程度の差をもたらすのかを決める必要があるということです。差をつけすぎると制度を利用する人が減ってしまったり、利用者のやる気をそいでしまいますし、差をつけなさすぎると非利用者不満がたまりますから、慎重に扱わなくてはならないポイントとなります。
また、そうした「違い」を選択することが、従業員にとってどのような意味を持つのかについて、慎重にみていく必要があるでしょう。具体的には、短時間勤務を選ぶことが、選択後の働く姿勢や将来のキャリアパスを画一的に決定してしまっていないか、ということです。例えば、「短時間勤務の選択=将来取り返すことができない昇進上の遅れを受け入れること」といった構図になっていないか。もしくは、「短時間勤務の選択=会社が、そこそこ働けばいいといった利用者の意識を認めていること」といった現実を引き起こしていないか。もし、従業員の中でこうした認識が広がっているとしたら、由々しき問題でしょう。
また、こうした制度に対する「色づけ」は、導入時に人事部が一方的に決められるものではなく、一定数の制度利用者が出てきて初めて現実的な議論ができるものです。ですから、人事部の方には、このような制度の「色」について常に気にかけていただければと思います。「制度ができたから終わり」ではなく、両立支援策をどういう人にどのように使ってもらいたいのか、それに対して今どうなっているのか、常にすり合わせ忘れずに、ということですね。
日本では、少子化問題を背景にして、国が積極的に両立支援の後押しをしてきています。企業側も、2008年の秋の「リーマン・ショック」までは余裕がありましたから、「何故やらなくちゃいけないの?」という疑問もありながら、人事として押さえるべきこととして、制度の導入を進めてきました。
ただ、あまりにも両立支援を少子化問題と結びつけすぎると、「子供を産み、育てながら働き続けられる制度をつくる」ということだけに目がいってしまう危険性があります。そこでは、制度利用者をその後会社の中でどう活用していくのか、という視点が抜け落ちがちになる。その結果、両立支援制度が女性活用と逆方向に働いてしまうという弊害が起こりえます。
例えば、時短労働を、子供が小学校6年生になるまで延長することができる、といった制度を導入したとしましょう。長期の短時間労働を認めることはいいことのように思われるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?そこにリスクはないでしょうか。その人にとって時短で働き続けた12年のキャリアはどうなるのか。例えば、25歳で子供を産んだとして時短労働が終わるのが37歳。そこでどれだけキャリアアップできるのか。現実的に考えて、その12年間与えられる仕事は、25歳のときと同じレベルのものが続くという企業が多いのが現状ではないでしょうか。これでは実質、「制度を使ったら一線を引いてもらう」と宣言しているようなものです。
もちろん、短時間勤務期間の長期化に問題がある、ということではありません。ただ、制度利用者の活用まで考慮した制度づくり・運用を考えていかないと、短時間労働選択=メインストリームからの脱落といったイメージが定着してしまう。実際に、両立支援制度を利用して長期に時短労働している人たちはのんびりした働き方をしている、と周りから見られている会社もあります。そうした認識を定着させてしまうと、短時間労働を選択することが、これから会社の中心で働いていくか否かの「踏み絵」になっていってしまうでしょう。
確かに、両立支援策は、家庭的責任を負っている従業員が働く上で直面する問題に対する解決策を示してきました。しかし、一方で、働く時間と場所の選択肢を提供さえすれば、企業としての役割は十分果たしているという認識が定着してしまい、取り組みが単に「選択肢の提供」に特化してしまったという側面があるのは否めません。そうした枠組みを超えて、家庭的責任を負う従業員が「働き続けられるため」だけではなく、「より活躍できるため」の解決策を、柔軟に考える時期が来ているのではないでしょうか。
「子育ては大変だろうから、時短労働でそこそこの戦力になってくれればいい」と、どこか諦めてしまうのではなく、短時間勤務者に対して、どこかのタイミングで「もう一度、自分の働き方を見直して、今とは違う働き方で頑張って働きませんか?」と背中を押すという発想が必要でしょう。そのうえで、それを実現するためにはいったい何が必要なのか、何があれば一線で活躍していくことができるのか。そうした視点で仕組みやその運用を考えていくことが肝要だと思います。その中には、当然、時短労働や残業削減も入ってくるでしょうが、例えば、上司の理解や、職場の環境といった、制度以外の対策対象も見えてくるはずです。
個人的には、両立支援制度自体は法定内で十分だろう、と考えています。それよりも、そこで戻ってきた人たちの活用を考えることが重要。ですから、法定以上に手厚い制度自体が称賛されるような風潮には正直少し疑問を感じます。両立支援制度の導入で最悪なのは、制度が整っていないことではなくて、非常に立派な制度が揃っているのに、社員が「ちゃんと働こうと思ったら、結局は使えないよね」と思っている状態ではないか、というのが私の仮説です。この点については、今後、調査をしていきたいと思っています。
本日は両立支援制度を中心に話をしてきましたが、突き詰めていくと、「育成」の問題に突き当たると考えています。育成がうまくいっていないところでは、両立支援策もうまくいかないだろう、ということです。「重要な人材、戦力に辞めてほしくない。活躍してほしい」という強い動機があれば、もっと違った両立支援のあり方を考えるはずです。
実際に、ある会社の人事の方に、「別にいてもいなくても同じだから、長期の時短労働を取ってもらって構わない」と言われたこともあります。そんな状態で、真剣に制度づくりをするでしょうか?もし、リテンションへの動機が弱ければ、周りから後ろ指をさされない程度にと考えるか、広報戦略として見栄えのいいものを、といった方向に行ってしまっても不思議ではありません。
まず、本当に辞めてもらってはこまるような人材が育成できているのか、その人材が一時的にペースダウンするとするならば、彼らにどのように活躍してほしいのか、基本的なことですが、両立支援策を考える際に、見直してみてはいかがでしょうか。
取材・文 大島由起子(当研究室管理人) /取材協力: 楠田祐 (戦略的人材マネジメント研究所)
(2010年3月)
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