HR Professionals:人事担当者インタビュー

第11回 グループ会社間の連携を強化するための思い切った移転で、「常識を破れ!」

第11回 グループ会社間の連携を強化するための思い切った移転で、「常識を破れ!」

キリン株式会社 Nakano Style 推進プロジェクト プロジェクトリーダー 井上 宏 氏

2013年5月に、キリンホールディングス傘下の14社(現在は15社)が中野に移転、社員2800人が一か所に集まりました。この思い切った移転にはどのようは背景があったのか。その目的と、移転の苦労や工夫、その成果など、移転プロジェトのリーダーである井上氏に伺いました。 (※ 井上氏は、人事のご担当ではありませんが、人材マネジメントへのヒントが満載ですので、こちらのコーナーでご紹介します)


井上 宏 氏  プロフィール

株式会社福武書店(現ベネッセコーポレーション)を経て、キリンビール入社。主にビール部門の営業企画部署を歴任後、グループ調達改革プロジェクト、グループ本社移転プロジェクトを歴任後現職。


「内向き箱文化」を打破し、「お客様」を総合的に理解できる体制を

― 2013年5月、中野にキリングループの14社(現在は15社)が集結、ということで話題になりました。移転にはどのような目的があったのでしょうか?

今回の移転の背景には、キリンホールディングスの社長である三宅の危機感がありました。移転前まではグループ会社15社が14拠点に分かれていて、正直あまり上手い連携がとれていませんでした。今では考えられませんが、以前は「ビールも清涼飲料水も胃袋は同じで競合相手だ」と考える社員がいたくらいです。

せっかく15の顧客接点があるのに、グループ会社間での連携ができていないために、シナジーを生み出せていない。社内では一人一人が個人商店化してしまっていて、下手をすれば、隣が何をやっているかもわからない。対話が少なく、思いを一つにすることが難しく、思いを分かち合うコミュニティーが成り立たなくなっている状態。社長の三宅はそれらを「内向き箱文化」と表現し、どうにか打破していかなくてはならないと考えたのです。

食文化の形態は大変な勢いで変化してきています。例えば、昔は「美味しいものをおなかいっぱい食べられる」ことに価値がありましたが、今は「美味しいものを健康に食べる」ことが大事になっていますよね。こうした変化を敏感に察知し、スピーディーに対応していくためには、「お客様」を主語にして発想していく必要があります。グループ各社が一丸となって、一人のお客様を総合的に理解していくことが求められる。せっかく15の接点を持っているのに、それを活かせていないとしたら宝の持ち腐れです。

実は、そうした危機感は、持ち株会社制を採用した2007年くらいからありました。そこで2009年、キリンビバレッジの本社を、原宿にあったキリンビールの本社ビルに移転しました。物理的に人を集めれば自動的に横の連携は進むだろうと考えたからです。しかし、同じビル内にいるといっても、会社によってフロアが分かれていて、お互いの社員が自然に顔を合わせて話をするような機会は、残念ながらほとんど生まれませんでした。そこで、2011年から、戦略的にグループ本社の統合を考えていくことになりました。

2800人の社員を、できるだけ少ないフロア数で、一か所に集結させたい

― 何故、中野だったのですか?

最初から中野に移転することが決まっていたわけではありません。移転先については、いくつかの譲れない条件があって、それらに合致したのが中野のこのビルだった、ということです。

ひとつは、グループ会社14社、2800人の社員が一か所に集まれるだけのスペースを確保できること。しかも、フロアはできるだけ少ない方がいい。つまり1フロアが「メガフロア」であることを重視しました。

ふたつめは、お客様の顔が見える場所である、ということ。東京の都心のオフィス街では感じることのできない日常の生活感に触れることができるロケーションにこだわりました。

こうした条件に合う物件が中野に見つかった、ということです。

― 「メガフロア」ということですが、どれくらいの広さがあるのですか?

1フロアは、国際ルール基準のサッカーコートが丸々入る大きさです。132メートル×47メートルあります。現在、ビルの2階と、17階から21階を借りています。2階が受付、18階が来客エリアと多目的スペース(「Nagomi」後述)となっていて、17階と19階から21階が一般オフィススペースです。オフィススペースには、基本的に仕切りを作っていません。端から端まで見渡せる状態を保っています。

― 2800人がたった4フロアに集まっているということですね。

はいそうです。先ほどお話しましたように、今回の移転は、グループの横の連携強化が大きな目的の一つでした。ですから、できるだけ社員が分散しないことが重要です。また、単に集まったからといって、自然に連携の動きが活発にならないことは経験していましたので、いくつもの工夫をしました。

ひとつは、会社毎ではなく、機能毎に席を決めている、ということです。

会社毎にはまとまらず、機能別に席を決める

― 席割が会社毎ではない?

はい。15社が4フロアに分かれるわけですから、そのままでも多くの会社がフロアを共有することにはなります。しかしそれだけでは、会社の枠を超えた積極的な交流を生み出すのには不十分だと考えました。そこで、マーケティングならマーケティング、生産管理なら生産管理といったように、携わっている仕事内容毎に社員を集めました。例えば、キリンビールの商品企画の社員の横にキリンビバレッジの商品企画の社員が座っている、ということです。

当然それぞれの会社の社長や上級管理職の席もありますが、目の前に座っているのが、必ずしも自分の部下ではない、ということになります。当初は「マネジメントがしづらい」と困惑していた人もいました。しかし、目の前で仕事をしてくれることがマネジメントの必須条件ではないはず、とお話して理解してもらいました。

― 思い切った運用ですね。そのほかに工夫されたことは?

19階から21階のフロアの真ん中に、中階段を設けています。他のフロアに行くのに、わざわざエレベーターに乗る必要はありません。階段はガラス張りにしていますので、人の動きもよく見えます。階段で移動すれば、そこで人に出会う機会も多くなります。そして、その階段の周りを「Tsudoi(集い)」という、仕事や打ち合わせができるスペースにしました。

移転前は、ビール会社の人間が、原宿(以前の本社)にグループ他社の関係者を呼んで会議が開かれる、というパターンが多く見られました。そういう設定ですと、呼んだ方が主導しているようなイメージになり、心理的な壁ができてしまいがちです。

そこで、同じグループ会社の人間がひとつの目的を持って集まるのであれば、「等距離」ということを大事にしたいと考えたのです。第三国で国際交渉を行うというイメージでしょうか。様々な仲間が行き交うフロアの真ん中に集まって、心の壁を取り払って創造的な仕事をしていきましょう。そんな思いも込めて、中階段とその周りの「Tsudoi」スペースを作りました。また、「Tsudoi」も含めて働くロケーションを自主的に選べるよう、全フロアで無線LANに接続できるようになっています。いつでもノートPCを持って移動できる環境を整えています。

グループの連携を強めるのは、「100枚の指示書より、一回の共通体験」。

― 社員同士が、今までの枠を超えて時間と場所を共有することに、とことんこだわっているのを強く感じます。

横の連携を促して、キリンがグループとしてひとつになる。「One KIRIN」を作っていくためには、「共通体験」が非常に重要だと考えています。100枚の指示書よりも、ひとつの共通体験。同じ体験を一回でも多く共有することが重要です。その積み重ねが血肉となって、自然にキリングループの一員であるという自覚を持つことができると思います。実際に、「Tsudoi」で、商品パッケージの見本などを並べて打ち合わせをしている光景をみることは珍しくありません。それを見たシェアードサービス会社の社員が、「『俺ってやっぱりメーカーで働いているんだな』って実感しましした」、と言ってきてくれたことがあります。

各フロアにある「Tsudoi」は、日々の業務を通じて、多くの共通体験を重ねてもらうための仕掛けですが、もうひとつ「Nagomi(和み)」という多目的スペースを設けています。これは、小学校の校庭をイメージしています。小学校の校庭は、授業に使われることもあるし、休み時間や放課後には、生徒が思い思いの使い方をする。時には運動会やイベントが催されることもある。そんな場所です。昼食時には食事をする場所として使っていますが、それ以外は自由に使っていいことになっています。ですから、ここで会議をしたり、PCを持ってきて仕事をしたり、思い思いに使ってくれているようです。

この「Nagomi」では、商品発表会や説明会が頻繁に行われています。移転前、そうしたイベントは、15社がそれぞれの本社や別の場所で開催していました。ですから、直接関係のない社員が、他のグループ会社の商品発表会に出席することはありませんでした。しかし今は、同じオフィス内で開催されますから、誰でも気軽に参加することができます。こうした共通体験の積み重ねが、グループ視点での発想ができる土壌を醸成してくれていると感じています。

移転を成功させるのは社員全員の仕事である、と認識してもらう仕掛け

― 本社移転が良い効果を生み出しているのがわかりましたが、最初から社員の皆さんが移転の意味を理解していて、協力的だったのですか?

移転プロジェクトを立ち上げたときに、とにかく気をつけたのが、「移転は、移転プロジェクト担当の人たちの仕事だよね」と、他人事に思われないことでした。移転を成功させるのは一部の人ではなく、社員全員の仕事なんだという意識持ってもらうことに腐心しました。ですから、移転計画の早い段階から全員が参加する仕掛けを提供し、移転というイベントを皆で楽しもうというメッセージを発信し続けました。

このビルが竣工したのが2012年の5月です。その年の夏休み、さっそく、社員とその家族の見学会を開催しました。サッカー場が入る広大なフロアに、まだ何もない状態です。しかも、スカイツリーは見えるし、中野駅も見降ろせる。子供たちは大喜びでしたし、参加した社員も、移転に対して期待感を持ってくれるようになったと思います。

その他、中野散策ツアーを実施したり、新社屋で使う家具の人気投票を行ったりしました。先ほどの「Tsudoi」や「Nagomi」の名前も、社員から公募して決定しました。

そして、「Nakano Style」という考え方を提案し、グループ全体に浸透させるべく活動を進めました。

「Nakano Style」: 移転をきっかけに、働き方を変革する。

― 「Nakano Style」とは何ですか?

中野の地で「One KIRIN」を作り上げ、企業価値を上げていくために、2800名の社員一人一人が自分なりの働き方を考え、実践していこう、という意思の表明です。移転というイベントをきっかけに、働き方変革を起こしていくという活動の総称となっています。

ただ、そうした概念を伝えただけでは抽象的で具体的な行動に落せないと思いましたので、移転前からいろいろな施策を打ちました。

まず、移転の半年前くらいには「Nakano Style」準備委員会を発足、グループ会社各社から集まった100人くらいのメンバーでワークショップを開催しました。最初の会のテーマはひとつだけ、「グループが集結することで不安なことは何?」でした。遠慮しないで、とにかく不安だと思うことを全部出してみよう、と。そこでは、実に様々なことが出てきました。賃金や制度、福利厚生も各社毎に違います。そういう人たちが机を並べて働くと摩擦はないのか。小さいところでは、使うファイルの種類が違う、なんてこともありました。

すべての不安をテーブルの上に並べたところで、「じゃあ、こうしたことを乗り越えて、横の連携を強めていくためにはどうしたらいいのか」という話を詰めていきました。

施策のひとつとして、移転前にグループ横断のイベントを企画したことがあります。たかがイベントと思うかもしれませんが、これまでほとんど集まったことのない、文化やバックグラウンドが異なる人たちが集まると、まとめていくのは、想像以上に難しいんです。それぞれが培ってきた習慣やルールがありますからね。例えば、そういうイベントでは社長はあいさつするのかとか、飲み物・食べ物はどの程度提供するのか、しないのか。それまで当然だと思っていたことが、必ずしも当たり前ではないということを、肌で感じる機会となりました。

一人一人にMy「Nakano Style」。入居後も活動を継続。

文化の違いを乗り越えて、お互いを理解する、そしてグループ内の連携を強化し、グループの課題に関心を寄せる。これを「Nakano Style」を通じて達成していってほしいと思っています。

ただし、「Nakano Style」の具体的な内容は、会社からの指示はなく、一人一人に考えてもらうようになっています。皆でグループの成長を目指すわけですが、働く喜びのあり方は一人一人違うはずだからです。

入居時には、「Nakano Style キリングループ本社の“新しいオフィス文化”創造のヒント」という小冊子を全員に配布し、その本質を改めて理解してもらうとともに、最終的には一人一人のMy「Nakano Style」を宣言してもらいました。

そこでお願いしたのは、「常識を破れ!」ということ。キリンでは常識でも、世間では非常識なことが沢山ある。今までの常識にとらわれずに、新しい発想で取り組んでほしいという思いを伝えました。

入居後は、「Nakano Style準備委員会」を「Nakano Style 運営委員会」に引き継ぎ、その下に「IT Style 浸透委員会」「会議Style検討委員会」「リレーションStyle促進委員会」「課題解決Style運用委員会」「高生産性Style実現委員」といった委員会を立ち上げ、自分たちで新しいオフィス文化を作り上げていく活動を続けています。

― 移転がひと段落したところだと思いますが、実際に、手ごたえ・成果を感じていらっしゃいますか?

まず、情報伝達の早さが格段に上がりました。共有体験を通じて共通認識の広さと深さのレベルが格段に上がったことによって、情報が深く早く伝わるようになったのを感じます。昔だったら1週間かかっていたことが、半日で済むようになったほどのスピードアップです。

また、商品開発の分野でも連携の効果が生まれています。ビール会社で蓄積してきたお客様の情報を活用して小岩井乳業がおつまみを開発したり、協和発酵の持っているオルニチンや乳酸菌を、他社が製品に活かしたりしています。一番搾り(ビール)と清涼飲料水を一緒にグラスに注ぐ「一番搾りツートン生」というビールカクテルも出てきています。ビールと清涼飲料水は比重の違いを活かして、ツートンカラーを作る綺麗な飲み物です。

人事的な側面で考えると、機能別に集まって仕事をすることで、その分野でのグループ内のエース人材がわかる、というメリットもあると思います。

変えられないことに焦点を当てても仕方ない。リスクをとって前進する。

― ただ、会社毎の報酬や制度の違いは残っているわけですよね。机を並べて同じような仕事をしているのに、差があるのはどうなのか、といった不満は出てきていないのでしょうか。

それがまったくないといったら嘘になるでしょうね。ただ、その状態をすぐになくしてしまうことはできません。すぐに変えることができないことに焦点を当ててしまうと、思い切った改革などできなくなってしまいます。まずは、違いがあることは認識しつつ、共通点に目を向けて、慣れていくしかないと考えています。

そして現状を変えていきたいと思うなら、差異にこだわることに時間を使うのではなく、一人一人が自らの能力をアップさせて、グループ全体の業績を上げていくことを考えてほしいと思っています。それが一番の近道です。グループ内での横の連携をし易い環境が整ってきていますから、実績を上げて成長し、道を切り開いていくチャンスは大いにあります。

― また、これだけ開放的なオフィスですと、重要な情報を隠すことが難しいのでは、という意見はありませんでしたか?

当然のことですが、お客様の情報をはじめとして、絶対に外に漏らしてはならない機密性の高い情報は、限られた人しかアクセスできない場所で管理していますし、セキュリティに関しては厳しいルールを設けています。しかし、それ以外の情報、例えば商品企画会議や新商品に関する情報、もしくは社内活動などは、無理に隠す必要がないと考えています。機密情報以外で、「グループ他社の人がいるから、しゃべっちゃいけない」なんてことはないはずです。もしかすると、何らかのリスクはあるのかもしれません。しかし、そのことに縛られ過ぎて、グループ内で日常的に情報がオープンに交換されなくなるデメリットの方がはるかに大きいと考えています。

社内にもいろいろな意見があります。絶対的な正解はない世界でしょう。しかし、リスクを取って思い切って前進しなければ、新しいことはできませんし、大きな成果を手に入れることはできないと思います。

― 最後に、今後の抱負についてお聞かせください。

現在、「ブランド基軸の経営」を掲げています。ブランドというのは工場で大量生産するものではなく、一人一人の心の中で形成されるものです。お客様の心の中で、キリンブランドのイメージを総合的に形成していっていただくためには、社員が自分の会社の商品の話だけではなく、キリングループ全体のストーリーを伝えることができなくてはなりません。そのために、2階受付フロアに、「ココニワ」というコミュニケーションスペースを設けました。また、グループ全体のことを語ることができるようになった社員に対して、ライセンスを発行しています。今はまだ社員全員がこのライセンスを持っていませんので、この比率を限りなく100%に近づけていきたいと思います。

そして、キリンブランドとして、「『飲みもの』を進化させることで、『みんなの日常』をあたらしくしていく」ことを約束しています。お客様の期待を超えて、多様化する「飲み物」を進化させていくためには、我々の働き方ももっと変化させていく必要があるでしょう。グループ全体の新しい文化である「Nakano Style」がどれだけ実践で活かされ、成果につなげてくことができるのか。せっかく動き出した新しい動きが停滞してしまわないように、これからも様々なしかけを考えていきたいと思っています。

― 本日はどうもありがとうございました。



取材・文 大島由起子(当研究室管理人)/取材協力:楠田祐氏(中央大学大学院戦略経営研究科 客員教授)

(2014年2月)

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