HR Professionals:人事担当者インタビュー
第18回 60歳以上の社員が第一線で活躍し続け、現場に貢献できる仕組みを作る
株式会社IHI 執行役員 人事部長 長野 正史 氏
IHIは、2013年から「選択定年制度」を導入しました。これは、59歳の時点で、65歳までの間で何歳で定年するのかを自ら決めることができる、というもの。本制度は会社の戦略と紐づいたものであり、同時に、現場の声を汲み上げた結果でもあると言えます。導入された背景、具体的な制度内容、2年を経ての成果と課題について伺いました。
長野 正史 氏 プロフィール
1982年 石川島播磨重工業株式会社(現 IHI)入社。
以来、人事労務部門を歩む。主として、人事・労務制度の企画・立案、労使交渉、船舶海洋部門の分社化などに携わる。
2008年 九州支社長として営業を経験。
2012年より現職。
現在は、2013年度からの中期事業計画における「グループ人材マネジメント方針」に基づく「グローバル」「グループ」「ダイバーシティ」の各人事施策を展開中。
再雇用者のモチベーション低下、それに伴う優秀人材の流出、現場マネジメントの難しさをどうにかしたい
― 2013年から、一旦退職した後に再雇用するのではなく、本人が退職年齢を選択するという「選択定年制度」を導入していらっしゃいます。まず、その導入の背景を教えていただけますか?
弊社では、2013年に、グループとしての人材マネジメント方針を打ち出しました。急速にビジネス領域が拡大し、海外でのビジネス比率が高まっていくなか、グループとして共有できる価値観がないと、強いシナジーを生み出せないという危機感があったからです。
大きな方向性は、「ものづくり技術を中核とするエンジニアリング力によってお客さまの価値創造を果たすこと」で、その実現のためのキーワードとして、「グローバル」「グループ」「ダイバーシティ」を強く意識しています。「ダイバーシティ」では、取り組み対象を「女性」「外国人」「障碍者」「高年齢者」に分けて、それぞれに具体的な施策を立案し、実行に移しています。これからお話する「選択定年制度」は、グループ全体の人事戦略の中の「高年齢者」という重要なテーマのひとつという文脈の中で取り組んでいる、ということになります。
「選択定年制度」は、60歳以上の一般従業員(事技系、技能系)の新たな雇用制度として2013年に導入したものです。「選択」という言葉からは、早期退職の選択を促す制度という印象を持たれるかもしれません。しかし、主旨はそれとはまったく異なっています。ここでいう「選択」は、60歳から65歳までの間で、退職時期を自由に選択できるということであって、希望があれば65歳までしっかり働いてください、という制度なのです。
弊社では、2006年から「再雇用制度」を導入していました。ただ、ここでの「再雇用」は、実質、「仕事の第一線を退く」と同義でした。退職金をもらって、後は後輩のじゃまにならないように、65歳までつつがなく過ごす、といったイメージがどうしてもぬぐえませんでした。
こうした「再雇用制度」下では、再雇用者のモチベーション低下や、それに伴う優秀人材の流出リスク、現場における人材マネジメントの難しさが指摘されるようになってきました。また、特に技能系人材は、40歳代から50歳代前半の層が薄くなっている状況も明らかになってきて、技術・技能の伝承に対する大きな危機感も生まれていました。同時に、老齢厚生年金の報酬比例部分の支給年齢の引き上げや、原則として希望する社員全員に対して65歳まで安定した雇用を確保することが義務付けられる法改正など、外部的な変化も制度の見直しを後押しすることになり、制度改訂に取り組むこととなりました。
そこで、高年齢者が会社の競争力の源泉として働きつづけることができる制度とはどういうものかを考え抜いた結果、現行の再雇用制度の改訂ではなく、また、一律の定年延長でもなく、第3の道「選択定年制度」を選択するに至りました。
「個別受注生産」の現場では、経験の長さが非常に重要になってくる
― 「定年年齢を選択する」という決定は、どのような経緯で行われたのですか?
弊社は、ほとんどの事業領域で、一品づくりの「個別受注生産」となっています。しかも、SBU(ストラテジック・ビジネス・ユニット)が約40もあるため、特殊な技術・技能の伝承が非常に重要です。
個別受注生産では、高度なすり合わせ技術・技能が求められます。ですから一人前になるのに最低でも10年20年はかかり、経験年数が非常に重要な要素となります。年を重ねて経験を積んだ社員に活躍してもらわなければ、会社が立ち行かないといっても過言ではありません。この点が、大規模な製造ラインを持つような、見込み生産、仕込み生産をしている企業との大きな違いだと思います。
ですから、高年齢者の雇用に関しては、高度技術者を中心に、かなり前から施策を取ってきていました。2003年には、「スキルドシニア・テクノシニア制度」という制度を導入しています。「スキルドシニア」とは、技能系、「テクノシニア」は事技系を指しています。この制度は、本人・会社双方が希望する場合に、1年単位で63歳まで、再雇用をするというものです。この制度は、公的給付金とのバランスを取ることを重視していましたから、残業なども想定せず、年収を固定させていました。
その3年後、高年齢者雇用安定法(高齢法)の改正に伴って、新しい制度を導入しました。原則、希望者全員を再雇用する。ただし、能力、業績などの面で著しく問題のある場合は再雇用しない、というものでした。この制度では、公的給付を基準にしませんでしたので、より長時間働くことで給付金が減額になるというケースもありました。
そして、7年後の2013年、高齢法の更なる改正、老齢厚生年金の報酬比例部分の支給年齢引き上げが引き金となって、「選択定年制度」の導入となりました。
60歳以降の定年延長期間は、フルタイム勤務のみ 常に第一線で働ける環境を
高齢法の改正によって、原則として希望者全員を雇用することが求められるようになりました。つまり、「再雇用」というステップが入っても、そこに会社側の選択の余地はないわけですから、事実上、全員定年延長との違いがなくなったことになります。当時の再雇用制度の下では、再雇用社員のモチベーションの低下という問題が指摘されており、優秀人材の流出という問題も顕在化しはじめていました。しかし、当時の仕組みでは、一線で働き続けるためには避けられない異動や出張、交替制勤務が難しかった。また、再雇用制度では延長前に退職金が支払われてしまいますから、その後のモチベーションを高く維持するための環境としてそもそも難しいものがありました。それであれば、60歳以上の社員にも積極的に働いてもらえる環境を整えることを第一に考えよう、そのためには本人の選択による定年延長が合理的ではないか、ということになったのです。
当初は、定年の一律延長という声も上がっていました。しかし、これまでの再雇用の実績を振り返ると、一年毎に更新していくなかで、必ずしも皆が最後まで残りたいと思っていたわけではないということがわかってきました。実際に更新最後の年65歳まで残っているのは50%程度。つまり、いつまで働きたいかは人それぞれだ、ということです。「じゃあ、選んでもらった方がいいのではないか」ということで、定年年齢する年は自分たちで決められるようにしようということになりました。
また、「再雇用」がいいのか、「定年延長」がいいのかについては、現場の声を参考にしました。2013年までの再雇用では、短時間勤務を認めていましたから、出勤時間がバラバラになるケースが出ていました。また、再雇用社員は残業や夜勤、出張は基本的に不可。現場のリーダーにとって、こうしたメンバーをチームの中でどう活用していけばいいのか、頭を悩ます問題であったようです。一方、再雇用社員たちの中には、あまり仕事内容が変わっていないのに、賃金が激減したり、役割をはずされたりしてしまって、なんとなく釈然としない、という気持ちがありました。つまり、お互いに不満がある。それならば、一律に再雇用や定年延長にするのではなく、本人がいつ一線を退きたいのかを選んでもらうのが一番合理的だ、という結論に達したのです。ですから、60歳以降の定年延長期間は、フルタイム勤務のみとし、夜勤や異動・出向などに制限を置きませんでした。また、毎年の基準賃金を決定する要素である、成績系数の幅を広げて、頑張った分がより報酬に反映される仕組みとしました。
― 選択定年制度を実際に導入するにあたって、問題となったこと、考慮されたことはありましたか?
選択制定年制度の適用範囲については最後まで悩みました。ポイントは管理職をどのように考えるかです。「60歳の管理職」と一言で言っても、関係会社の社長をしている人から、研究者、現場の管理監督者まであまりに幅が広い。年数が技術のレベルに比例する一般職と同じ考え方を一律に取り入れるのは難しいという結論に達し、こちらのカテゴリでは従来からの再雇用制度を適用することになりました。
最終的に選択定年制度を運用し始めるにあたっては、目的がぶれないように、「IHIにおける高年齢者の位置づけ」を明確にしました。第一に、「60歳を期に一線を退くのではなく、今までと同様に引き続き経験豊かなベテランとして働き続ける」。第二に、「層の薄い40代から50代前半の人員構成を踏まえて、30代以下の若年層に対して、早期かつ計画的に技術・技能を伝承することで、『ものづくり』能力の維持に貢献する」。第三が、「担当技術・技能領域における高度専門家として、競争力を維持・強化する」。この3点です。
「労働契約が自動的に終了する時期を、労働者の意思によって選択させる」というのが、制度の根幹
― 具体的に、「選択定年制度」というのは、どのような制度なのでしょうか?
まず、「労働契約が自動的に終了する時期を、労働者の意思によって選択させる」というのが、制度の根幹です。具体的には、選択定年制度の対象となる身分の社員は全員、59歳の時点で、自分が何歳で定年をするのかを選択することになります。従来の再雇用制度では、65歳まで1年毎に更新していましたが、こちらは59歳での選択、一回のみ。それ以降、変更することはできません。60歳以降の勤務形態は、フルタイム勤務のみとなります。再雇用制度下では、短時間勤務の選択肢がありましたが、こちらの選択はなくなりました。そして、異動や出向に制限がなく、延長前の役割の継続も可能としました。つまり、60歳前の働き方と基本的に何も変わらずに勤務を続けることができる、というものにした、ということです。
賃金は満60歳から1年毎に逓減する形になっています。ただし、評価に基づく一時金のベースを一般社員と同様の幅に広げ、メリハリをつけることで、頑張った分だけ報われる仕組みを導入しました。また、満60歳到達後の4月以降から、区切りとしての3日のリフレッシュ休暇の取得も認めました。
― 対象者全員が定年延長できるとなると、労務費の問題を解決する必要があったのではないでしょうか?
こちらは、財務と共に綿密に計算しました。全員の定年延長を実施したとしても、退職金の支給時期の後倒しということもあり、トータルとして労務費への圧迫はないことを確認した上でスタートさせています。
― では、制度の運用を支える、具体的な高年齢社員の活用に向けた取り組みについて教えてください。
大きく6つの取り組みを行っています。
(1)ライフプランセミナー
(2)キャリアシフトプログラム
(3)技能マイスター制度
(4)高度専門家認定制度
(5)高年齢者が働く環境の整備
(6)健康・体力維持の取り組み
それぞれの概要について、簡単にご説明します。
(1)ライフプランセミナー
満50歳および満58歳に到達した社員を対象に、それぞれ8時間ずつ、キャリアプラン、ライフプランを考える機会をもってもらうものです。58歳時のセミナーでは、マネープランや定年後の生活設計、健康管理にまで言及しています。
(2)キャリアシフトプログラム
選択定年制度対象外の、管理職を対象にしたものです。満55歳到達時に実施し、55歳以降のキャリアの選択肢を提示し、具体的な希望を出してもらいます。
(1)や(2)は、集合して行うセミナー形式のものになります。
(3)技能マイスター制度
技能系従業員を対象にした制度です。各工場での独自性を認めていますが、基本的には、高度な技能を持つ社員のステータスを上げ、技能向上の意欲を維持・促進させて、技能継承を確実なものとすることを目的としたものです。多くの工場が、マイスター・サブマイスターといったランクを設け、各職種でマイスターが誕生するよう、人材の発掘・育成・指導を行っています。マイスターの資格には、月額手当がつく仕組みです。
(4)高度専門家認定制度
管理職に対する制度です。経営戦略・事業戦略上重要な技術・専門領域を担うトップクラスの人材を「高度専門家」として認定して、処遇します。詳細の要件はありますが、イメージとしては大学教授クラスの知識を持っているレベルの人材と考えてください。現在は、溶接の専門家、航空力学の専門家といった人材が全社で30名ほど認定されています。今後、法務や財務といった文系のエリアにも展開していきたいと考えています。
これらが、高年齢社員の技術やノウハウ、専門知識を活かして、本人のモチベーションを維持・向上させると共に、現場への貢献の源泉にしていく施策です。
(5)高年齢者が働く環境の整備
職場環境を「高年齢者」の視点で見直し、生産現場におけるユニバーサルデザイン化を推進し、働くうえでの負荷の軽減を図っています。
(6)健康・体力維持の取り組み
各工場毎に実施しています。専門的な産業医を中心に据え、保健師、ライン長、人事がタッグを組んで取り組むことにこだわっています。
― 実際に選択定年制を導入して2年ですが、何歳を選択される方が多いのですか?
導入当初は、65歳までを選択する社員が7~8割程度かと想像していましが、実際には、6割程度。それに、60歳、63歳が続きます。
― 2年を経て、どのような導入の成果が出てきていますか?
ひとつは、現場が、高年齢者も含めて、「皆で一緒に働く」という感じになってきているところです。再雇用の場合は、時短勤務の人がいたり、交替制の仕事に組み込めなかったりで、やはり職場の一体感に影を落としていたことは否めませんでした。
また、出向や出張も可能になりましたから、関係会社から「こういう技術を持った人材が必要」といったニーズが上がってきた時や、海外で短期間でも高度な経験を持った人の指導が必要といったSOSが出たときにも、力を発揮してもらい易くなりました。
人材のマネジメントの視点からは、要員管理がしやすくなったという点も挙げられます。再雇用制度の時には、毎年更新でしたから、2年先の要員の正確な予測ができませんでした。しかし現在の制度では、全員の定年時期が確定していますから、要員計画が確実に行えます。
― 今後、制度を良くしていくために、課題として取り組まれていることは?
実際に制度を導入してみて、高年齢者の活用のためには5つの視点や取り組みが必要だと考えています。
(1)健康管理の充実
(2)処遇制度の整備・改善
(3)意欲・マインドの変革
(4)キャリア・能力開発
(5)活躍の場の提供
それぞれに取り組みを行っていますが、中でも、メリハリをつけた評価の実現、教育体系・キャリア開発・能力開発の充実、活躍の場の発掘などに、注力していこうと考えています。
先ほどお話しましたように、評価点の幅を拡げて、頑張った人が報われる制度にはなっているのですが、実際には評価点が中間に集まってしまっていて、制度が目指すところが実現しきれていない部分があります。また、60歳までと同じように活躍してほしいという制度ですから、教育や能力開発、キャリアを意識した配置の実現にも、手をつけて行く必要があるでしょう。また、関係会社や海外事業でのニーズはまだまだ顕在化していないものが多くあると感じています。これらをしっかりと発掘し、高年齢社員の活躍の場を更に拡げていきたいと考えています。
― 本日はどうもありがとうございました。
取材・文 大島由起子(当研究室管理人)/取材協力:楠田祐(中央大学大学院戦略経営研究科 客員教授)
(2015年8月)