2018 / 05 / 25
「事件の記憶を超えて、稀代の起業家がいかにして創られたのかを明らかにしておきたい。」
『江副浩正』馬場マコト・土屋洋・著・日経BP社 2200円
- 評者
大島由起子 インフォテクノスコンサルティング株式会社
Rosic人材・組織ソリューション開発室/
人材・組織システム研究室 管理者
概要
リクルート(現・リクルート・ホールディングス)の創業者である江副浩正氏の生涯を、地道な取材を積み重ねてまとめた一冊です。
著者は、江副氏が現役であった際に、実際にリクルートで働いていた「元リクルート」 の二人。本格的に事業を立ち上げてから7年ほどしか経っていない「日本リクルートセンター」(現在のリクルート)に入社し、江副氏と同時代に仕事をしてきた方々です。
リクルート事件の発覚から30年、江副氏が鬼籍に入られて5年、江副浩正という人物が正しく理解されないままに風化してしまうことをよしとせず、実像としての江副浩正を世に伝えたいという著者の思いを強く感じる内容となっています。ただし、内輪からの単なる礼賛にはならいよう、影の部分、ネガティブな情報も冷静な筆致でつづられており、読み応えがあります。ページ数も約500頁、ボリュームからも取材の広さと厚みからも、文字通りの大作と言えるでしょう。
「江副浩正の名前は、ロッキード事件にも比肩する一大事件の主人公として昭和史に、そして人々の記憶に刻まれることになった。この鮮烈な記憶が、起業家としての江副浩正の実像を覆い隠しているのかもしれない。強烈な逆光によって江副浩正の正体はくらまされ、『東大が生んだ戦後最大の起業家』『民間の暴れ馬』とたたえられた江副のすごみを本当に理解する人は少ない。」
「多くの人達が、江副浩正と聞けばリクルート事件を真っ先に思い出すことだろう。ひょっとしたら、それしか思い出せないかもしれない。それは残念なことだと私は思う。リクルート事件によって江副浩正の実像が見えにくくなっている。そのリクルート事件も三十年が経って、歴史のなかに埋もれつつあり、江副さんが日本の経済社会に果たした功績は忘れ去られようとしている。その功績を整理し、再評価して、後世に残したい。江副浩正という稀代の起業家がいかにして創られたのかを、関係者が存命のうちに明らかにしておきたい。」
今、日本を代表する企業となったリクルートだけを知っている方々には、「今の土台は、ゼロからこうして作られていったのか」という純粋な驚きを、リクルートに籍を置いたことがある・関係したことがある方々にとっても、「表面に見えていたことの奥で、ここまで凄いことを考え、行動していたのか」という新たな発見を与えてくれることでしょう。
そして、第二次世界大戦前に生まれた日本人が、モノ・カネがないなかで成功を収めていく姿勢、そして躓いてしまう必然は、ビジネスや技術環境が劇的に異なる現代にも、大きな示唆を与えてくれます。
目次
序章 稀代の起業家
第一章 東京駅東北新幹線ホーム
第二章 浩正少年
第三章 東京大学新聞
第四章 「企業への招待」
第五章 素手でのし上がった男
第六章 わが師ドラッガー
第七章 西新橋ビル
第八章 リクルートスカラシップ
第九章 安比高原
第十章 「住宅情報」
第十一章 店頭登録
第十二章 江副二号
第十三章 疑惑報道
第十四章 東京特捜部
第十五章 盟友・亀倉雄策
第十六章 リクルートイズム
第十七章 裁判闘争
第十八章 スペースデザイン
第十九章 ラ・ヴォーチェ
第二十章 終戦
第二十一章 遺産
あとがき
お勧めのポイント
評者自身、江副"さん"(本当に当時から、社長を含め、役職を付けて上司を呼ぶことはありませんでした)が社長だったときに、リクルートに入社しました。入社2年目でリクルート事件に遭遇。検察がオフィスに入ってきたときにも、本社ビルの自分の席でその様子を見ていました。リクルートにいたのは4年ほどでしたが、そこで身につけたビジネス感覚は強烈に身に沁み込んでいて、今でも自分の中に、当時のリクルート的なものを見つけることがあるくらいです。
そうした強烈な文化を作り上げ、ビジネス界に新しい価値を生み出した江副さんの実像に迫る本が出版された、しかもそれは、リクルートの大先輩たちが自ら執筆したものだということで、手にしないわけにはいきませんでした。
私はたまたま採用部門に配属されたため、新卒採用に並々ならぬ力を入れていた江副さんに、新入社員としては接する機会が多かった方だったと思います。早めに退職したといっても、多数の同期がいましたので、リクルートの動向は嫌でも耳に入ってきます。それでも、本書を読んで、頭をガンと何度もうたれたような衝撃を受けました。
内定者の時、情報処理技術者資格取得の通信講座教材が突然送られてきました。情報誌を出版する会社に入社するつもりの私は、それを呆然と眺めていたものです。確かに、そのとき江副さんが考えていた事業は大きな損失を出して撤退することになりました。1983年には、インターネットがない時代ではありながら、不動産屋の店頭の端末から求める条件にあった物件と間取り図を出せるシステムを稼働させています。こちらも結局は通信がデータ量に対応できずに撤退。
しかし、通信インフラを押さえること、インフラの時間貸しの可能性、個人が欲しい情報を端末から自由に取り出す仕組みなど、当時は技術的・環境的な課題が大きかったために失敗に終わったと思いますが、現状を考えると、非常に先見性のある挑戦だったことがわかります。
時代背景を考えながら、時系列に彼がやってきたことを整理してみると、孫正義氏、堀江貴史氏、藤田晋氏をまとめて足したようなインパクトを与えてきた人物だったと言っても、大げさではないのかもしれません。
しかし、リクルート事件で、彼の目の前に拡がっていた未来がシャットダウンされてしまいました。私はその本当の原因をこの本で初めて知りました。そして、彼のビジネスの先見性への衝撃と同じくらいの、悲しい衝撃を受けました。
著者の一人である土屋氏の結婚式でのこと、仲人の大学教授が、「新郎は、名前も聞いたこともない、わけのわからない会社に就職しまして、いや私は反対したのですが」と言ったといいます。その場でそれを聞いた江副さんは、「あれは、本当に悔しかった。何としてもリクルートを世間から認められる会社にしてやる、もう社員には肩身の狭い思いなどさせないぞ、とその日、僕は誓ったんだ」と言ったといいます。
そうした、既得権を持った保守的な人たちや企業に対する強烈な対抗意識が、店頭公開の際の幹事会社の決定に影響を及ぼし、彼の人生を意図しなかった方向に大きく押し流していくことになります。そうした対抗意識こそが彼のビジネスを大きく育て、そして同時に、彼をその成長の果実から引き離してもしまった。人生に「もしも」はないと分かっていても、「あのとき」、誰かが真の状況を一言伝えられることができていたら、と胸が痛くなりました。
本書は、若者たちが、がむしゃらに時代の先端を駆け抜けていった物語であり、成功者の栄光と挫折の物語であり、一人の人物とそれを取り巻いた多くの人たち一人一人の人生の物語でもあります。立場によって、経験によって、年齢によって、いろいろな読み方ができると思います。本の厚さにめげずに、是非読んでいただきたい一冊です。
(2018年5月25日)