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第35回 創業者の「健康を大事にするDNA」の上に築き上げた「健康経営」

東急株式会社
人材戦略室 労務企画グループ 統括部長
下田 雄一郎氏

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経済産業省と東京証券取引所が選ぶ「健康経営銘柄」に5年連続で選定され、経産省選定の「健康経営優良法人」でも2019年度の「ホワイト500」に選ばれた東急株式会社。同社はなぜ健康経営に力を入れているのでしょうか。健康経営の本質と、その具体的な推進方法について、東急株式会社 人材戦略室 労務企画グループ 統括部長の下田さんに話を聞きました。

東急株式会社 人材戦略室 労務企画グループ 統括部長
下田 雄一郎氏 プロフィール

1993年、東京急行電鉄㈱入社 労働組合専従、人事・労務の各課長職を経て、2017年7月より現職 企業立病院である東急病院と連携して「健康経営」に取り組む


グループのDNAとしての健康経営

健康経営に取り組み始めたのはいつ頃からですか。

 最近「健康経営」が注目され、弊社もその流れで取り上げていただくことが増えていますが、実はここ数年で健康経営に新たに取り組むようになった、ということではありません。そもそも、東急グループ創業者の五島慶太は、「人の成功と失敗のわかれ目は第一に健康である。次には、熱と誠である。体力があって、熱と誠があるならば、必ず成功する」と言ってきました。「健康経営」という言葉を使っていたわけではありませんが、社員の健康は経営にとって最も重要な要素であるという考え方は創業当時からあったのです。健康経営はいわば会社のDNAとして生き続けてきた、と言えるでしょう。

病院経営をしているのも、そのような理念に基づいているのですね。

 1953年には東急病院を開業しています。健康への強い思いがあるからこそ、早いうちから病院経営に取り組むことになったのだと思います。そして今、病院がグループ内にあることが、健康経営の推進に役立っていることは間違いありません。現在は民間企業が医療機関を新設することができませんから、弊社グループにとっては非常に貴重な資産です。

言葉として「健康経営」を具体的に掲げるようになったのはいつからなのでしょうか。

 2015年から始まった中期3カ年計画に盛り込まれた「ライフスタイル&ワークスタイル・イノベーションの推進」の中で健康経営の推進を明示しました。さらに16年には、CHO(最高健康責任者)のポストを新設、副社長が兼任しています。同時に、CHOから「健康宣言」を発表しました。確かに健康経営のDNAはありましたが、それを推進するために必要な「形」がありませんでした。その「形」を15年から16年にかけて整えた、ということになります。

「健康宣言」はどのようなものなのですか?

 「従業員およびその家族の健康」「お客さまの生活環境の充実」「地域活力の維持・発展」が3つの柱となっています。東急グループの理念は「美しい生活環境を創造し、調和ある社会と、一人ひとりの幸せを追求する」です。我々街づくりの会社が、お客様や地域の幸せを追求していく中で、「健康」は重要な要素の一つです。ですから、一般にこのような宣言は社内に向けて行われるものだと思いますが、我々はその範囲にとどまらないことにこだわりました。

「健康経営」と「健康管理」の違いとは

健康経営を推進する組織の体制はどのようになっているのでしょうか。

 関連する部署は3つあります。従業員の労働安全衛生を担当する人材戦略室、従業員の健康管理をする東急病院、お客さまや地域との接点を担当する生活サービス事業部門です。「健康経営」という言葉を明示的に使うまでは、それぞれの部門がそれぞれの思いで活動を行う傾向があり、しっかりと連携がとれていたとは言い難い状況でした。そこで2015年から、人材戦略室と病院の連携の仕組みの構築を進めました。

連携はスムーズに進んだのでしょうか?

 結局、1年半ほどかかりました。一番苦労したのは、考え方をすり合わせることでした。どちらも「健康」に対して真摯に向き合っていることは変わりないのですが、それぞれの組織への期待の違いが、物事へのアプローチの違いを生んでいました。

 人材戦略室は事業会社の組織ですから、健康経営を考える際には「経営」や「組織」の視点を持つことが求められます。個々人のことだけではなく、その活動は経営や組織の成功にどうつながっていくのか、投資効果という観点からみた場合に妥当なのか、といった発想を手放すわけにはいきません。

 体調やメンタルの不調で休養する人が増えて人材不足が起こるというはっきりとしたマイナス面はもちろん、休養にまで至らなくても、様々な不調によって従業員の労働生産性が落ちるという状況が起こっているとしたら会社や組織にとっては大きな損失です。そうした状況を、組織として未然に防いでいこうというのが、人事視点の「健康経営」となります。

 一方、病院の役割はあくまでも健康管理であり、その軸となるのは個々の従業員です。企業の経営や組織の成功のために、という観点はよりも、純粋に個人のための取り組みを行っていきます。もちろん、人事の取り組みでも、個々人を大事にするという発想が大前提ですが、その先に経営・組織を見るか否か、そこにまず大きな考え方の違いがありました。1年半かけて、その違いを埋めて連携する仕組みを作り上げていきました。

 加えて、現場の医師には、医療のプロフェッショナルとしての信念や方針があります。それは一人ひとりが大事にしているものですが、組織として同じ方向を向くことが必要な場面があります。ですから、現場の医師との意思統一にも継続して取り組んでいます。

今後、リタイア年齢が上がれば上がるほど、従業員の健康は企業経営に直結する問題となりますね。

 まさにそこで求められるのが健康管理だけではなく、健康経営の視点だと思います。「個人の健康管理」という発想からだけでは、適切な対応をしていくことは難しいでしょう。「健康経営」と「健康管理」の関係を整理し、その両方を実現する有効な施策を考えていくことが、今後多くの企業の課題となっていくのではないでしょうか。

「歩く」習慣をいかに根づかせるか

具体的な施策についてもお聞かせいただけますか。

 健康経営においても最も重要なのは、病気を未然に食い止めること、病気と無縁の人をつくることです。そのために有効なのは、生活習慣や運動に関する対策を講じることです。

 例えば、メタボリックシンドロームかどうかが判定されるのは40歳を過ぎてからですが、専門家が見れば、30代半ばの時点でメタボになる可能性があるかどうかがわかります。そのような可能性のある従業員を弊社では、「若いメタボ」を略して「ワカメ」と名付け、意識して対策を考えるようにしています。「ワカメ」の段階で生活習慣を改め、運動を規則的に行うようにすれば、のちにメタボになるのを食い止めることができます。そのような「未病への投資」を充実させることが、私たちの一つの方針です。

 生活習慣の改善に関してまず着目したのは「歩く」ことでした。以前から駅伝大会や運動会などの職場レクリエーションを定期的に開催しているのですが、その中にウォーキング大会というイベントもありました。土日に従業員とその家族で5キロくらいのコースを歩き、ゴールで会社が用意したお弁当をみんなで食べるというものです。15年ほど前から開催されていたこのイベントの延長線上で、「歩く」ことを日常化しようと考えたのが「ウォークビズ」です。

クールビズの「ウォーク版」のようなものですか。

 おっしゃるとおりです。歩きやすい靴、歩きやすい服装、歩きやすい荷物で通勤し、歩く機会を日常的に増やそうというのがウォークビズのコンセプトです。それをどのように実行するかは、すべて一人ひとりの従業員に任せています。例えば男性社員の場合、通勤時とオフィス内勤務の時はネクタイなしで、動きやすい服に歩きやすい靴。お客さまに会うときにはスーツとネクタイと革靴を着用するなど、状況に合わせたスタイルを使い分けて働くことが普通と受け止められるようになっています。

社員に判断を任せている点がすばらしいですね。。

 これは、弊社が掲げている「スマートチョイス」という働き方の一環です。働く「時間」、働く「場所」、働く「服装」、「リフレッシュ方法」の4つに関して、従業員が主体的に選ぶことができるのが「スマートチョイス」で、これによって生産性も仕事の質も上がり、ワークとライフのメリハリもつくと考え、数年前に導入しました。「時間」に関しては分散出社を奨励し、「場所」に関しては、提携を含めて全国百数十カ所のサテライトオフィスで仕事ができるほか、ウェブ会議等も推奨しています。「服装」には、ウォークビズ、クールビズ、ウォームビズが含まれます。

一方、すべてを主体的な選択にしてしまうと、「やらない人はまったくやらない」という問題も出てきそうですね。

 おっしゃるとおりです。そこで、職場対抗の「ウォーキング選手権」を通年で開催することにしました。これは、グループ会社が提供しているKENPOSという歩数測定アプリを使って、部署ごとに参加人数と歩数の累計を算出し、四半期ごとに優秀な部署を表彰するという仕組みです。これによって職場一丸となって健康を志向する文化が生まれ、低関心層にもアプローチできるようになりました。


高まる従業員のがんリスクへの対応

禁煙に関してはどのような取り組みを行っていますか。

 本社の2つのビルの喫煙所を廃止し、完全禁煙にしました。これはかなり思い切った施策でしたが、これだけでは十分ではないと考えました。本当の意味での健康禁煙は完全な禁煙で、就業中のみの禁煙は「節煙」です。節煙では禁煙効果が半分になってしまいます。そこで、病院と連携して禁煙治療を行えるようにして、それにかかった費用を全額会社が負担することにしました。しかも、期間を決め、その中で手を挙げた人だけが補助を受けられる仕組みにしました。

なるほど、締め切り効果を狙ったわけですね。駅などの現場でも同様の施策をおこなっているのですか?

 そこは今も試行錯誤しているところです。もちろん完全分煙は実現していますが、喫煙所の撤廃までには至っていません。現場の場合、例えば乗務員であれば、終点まで行って休憩の際に一服するということが習慣になっている人も少なくありません。原則を掲げて、彼らのリフレッシュの機会を奪ってしまっていいものかどうか、真摯に議論を続けています。

喫煙者の数は減りましたか。

 以前は従業員のおよそ3人に1人が喫煙者でしたが、それが4人に1人に減っています。もともと喫煙率が高かった層が定年を迎えているという事情もあるのですが、現役世代の中でも喫煙をやめる人は確実に増えています。

喫煙・分煙への取り組みはがん対策の一環ですね。

 そうです。ほかにも、法定検査以上のがん検査を病院でできる仕組みも持っています。がん予防への取り組みは、今後ますます重要になっていくと考えているからです。がんの罹患率は60歳前後に一気に上昇します。以前は60歳の定年後が普通だったので、がんを発症し治療を始めるのは、多くの場合リタイア後でした。しかし、現在は再雇用で65歳まで働く人がほとんどですし、さらに定年は65歳、70歳と伸びていく可能性が高いと見られています。そうなると従業員である期間にがんになる人が増えていくことになります。

それに対する対策を早めに講じておかないといけませんね。

 まさに、「リタイア年齢が上がるほど従業員の健康は企業経営に直結するようになる」という先ほどの話と直結する問題です。がんになりにくい生活習慣を根づかせることが必要ですし、仮に40代、50代でがんになったとしても、早期発見することで治る確率は圧倒的に高くなり、職場にも復帰できます。

メンタルヘルスへの取り組みについても教えていただけますか。

 病院の産業医と連携して、独自の対策を行っています。職場のストレスチェックは法制化されていますが、それに加えて、入社、異動などの3カ月後に独自のメンタルチェックを実施しています。ポイントは「3カ月後」というところです。仕事の内容やポジションが変わった後にストレスで病気を発症する確率が目に見えて高くなるのが3カ月後からだからです。

 メンタルのトラブルの場合、休職までいってしまうと復帰は容易ではなく、そのまま辞めてしまうケースも少なくありません。休まなければならなくなる前にいかにフォローするかが重要であると考えています。


「TOQ健康スコア」で行動変容を促していく

取り組みの成果を計る指標はあるのでしょうか。

 「TOQ健康スコア」という指標を用いて、一人ひとりの従業員の健康状態を可視化しています。「TOQ健康スコア」は、産業医の監修のもと当社が独自に開発したもので、複数の指標を用いて健康度合いを点数化していくものです。そこに掲載される各項目の健康スコアや解説、改善のヒントを参考にすることで一人一人が自分の健康目標を立てやすくし、行動変容を促すことを目的にとしています。この数字が悪い人に対しては、産業医と保健師が直接指導します。グループの病院の者が担当しますから、指導を受けない言い訳がしにくい。これは病院を持っているメリットですね。

 また、スコア結果を個人だけでなく職場単位ごとにも経年で観察することで、健康意識の醸成や健康に関するイベント参加へのきっかけにするなどに活用していくことも考えています。

今後の課題はどんなところにあるのでしょうか?

 従業員一人ひとりに、健康経営の思想をしっかり浸透させることですね。意識が高い従業員はすでに理解してくれていますが、そうでない従業員も少なからずいます。自分や自分の部下の健康が会社の先行きに影響を与えるという意識を会社全体にどれだけ根づかせられるか。その点はこれからの取り組みになると認識しています。

駅などの現場で働く従業員が多いことを考えれば、「健康が大事」というメッセージが伝わりやすいとも言えそうですね。

 健康経営の効能が理解されやすい業種とは言えると思っています。現場は勤務時間が不規則で健康を損ねやすい状況ですから、健康管理を自分事として考えられる素地がありますし、それを身近に感じている他部門の社員からも納得感が得られやすいはずです。そのような条件を生かして、これからも健康経営を推進していきたいと思います。

本日は、どうもありがとうございました。

取材協力: 楠田祐(HRエグゼクティブコンソーシアム 代表)
取  材: 大島由起子(インフォテクノスコンサルティング(株))
T E X T : 二階堂尚

(2019年12月)

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