2021 / 08 / 04
第46回 現場マネジメント力を育て、従業員のエンゲージメントを高める、アドビ型1on1に学ぶ
アドビ株式会社
人事部 シニアマネージャー
杉本隆一郎氏
日本のアドビが独自の人事制度「Check-in」を導入したのは、およそ10年前のことです。相対評価を軸とした目標管理制度に対し、現場のマネージャーが1on1コミュニケーションを通じてメンバーの目標設定や育成、処遇に至るまで、ほぼすべての責任をもつという画期的制度です。外資系は「数値管理が厳しい」「人の扱いがシビア」といったイメージを覆す、人間的で、いわば性善説に則ったこの制度の内容と導入の成果について、同社人事部のシニアマネージャー、杉本隆一郎さんに話を聞きました。
アドビ株式会社 人事部 シニアマネージャー
杉本 隆一郎氏 プロフィール
上智大学卒業後、一貫して人事業務を8年間経験した後、2006年楽天株式会社に入社。営業職・エンジニア採用及び幹部候補層の採用をリード。15年以上の人事業務経験を活かし、2012年LinkedIn日本法人立ち上げに人事責任者として参画。2013年4月より日本オフィス代表代行としてビジネスオペレーション全般を統括し、日本におけるビジネスSNS及びダイレクトソーシングの普及に関わる。
その後再び人事・採用領域に軸を戻し、アクセンチュア株式会社、日本アイ・ビー・エム株式会社で採用責任者を歴任し、2019年9月より現職。
1on1コミュニケーションを軸とした人事制度
- まず、杉本さんのこれまでのキャリアをお聞かせいただけますか。
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社会人になってから24年間、一貫して人事に関わる仕事に携わってきました。アドビは8社目の会社となります。20代は人事全般の業務を担当し、30代で楽天に入社してからは、中途採用のマネージャーとなって年間50人ほどのエグゼクティブ採用も担当しました。
その後LinkedInの日本法人の立ち上げに加わり、人事だけではなく、営業の仕事も経験し、カントリーマネージャーも務めました。その後、会社がマイクロソフトに買収されたのを機にアクセンチュアに移りました。そこで約1年働き、さらにIBMに移って新卒・中途採用の責任者を務めました。
アドビに入社したのは2019年9月です。日本のアドビの従業員は約550人で、年間100人ほどを採用しているという規模感です。現在は、その採用統括と管理部門のHRビジネスパートナーを兼務しています。
- アドビでは「Check-in」というユニークな人事制度を運用されています。この制度の概要についてご教えてください。
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アドビがCheck-inを導入したのは2012年です。それまでは、一般的な目標管理制度で人事評価をしていました。期初に目標を立て、期末に自己評価と上司の評価を行い、それをもとにランクをつけ、処遇を決める制度です。しかし、その仕組みが事務的すぎて機能していないという意見が社内に多く、それに替わるものとして、横並びの人事評価をしないCheck-inを導入することになりました。
この制度のポイントは、一人ひとりのメンバーを一番近くで見ているマネージャーがその人の評価をし、育成や報酬の調整まで責任をもつという点です。共通のスコアをつけたり、評価記録を残したりする義務はなく、評価のための定型フォーマットもありません。人事部が用意しているのは仕組み全体のフレームだけで、あとは現場のマネージャーの裁量に任されます。
四半期に1回、だいたい1時間の1on1ミーティングを行い、さらに年度の最後に1年間を総括するReward Check-inを行うのがこの制度の大まかな仕組みで、各回のチェックインの際は、「エクスペクテーション」「フィードバック」「ディベロップメント」の3つのテーマを必ずカバーするようにしています。
「エクスペクテーション」は、会社の戦略を踏まえて、それぞれのメンバーにマネージャーからの期待を伝えることを意味します。「フィードバック」は、マネージャー自身がメンバーの業務に関連している関係各所のヒアリングをしたうえで、「自分はこう思う」「〇〇の部署からこんな意見があった」といったことをポジティブ、ネガティブを問わず率直に伝えることです。重要なのは、メンバーからマネージャーへの要望も同時に伝えることができることで、つまり双方向のフィードバックになっていることがポイントです。
「ディベロップメント」はメンバー主導のテーマで、これからやりたい仕事、築きたいキャリアのビジョンをマネージャーに話すことです。そのビジョンを実現するために、例えば、トレーニングプログラムの受講が必要ならば、その交渉をマネージャーにします。会社全体のガイドラインとして、語学やビジネススキルの講座を受ける場合は年間10万円程度、資格が取得できるビジネススクールや大学院に通う場合は年間100万円程度の支援金を出すことが決められています。その枠内なら、マネージャーが許可すれば自動的に支援金が支給されることになります。事業のトップや人事に許可を申請する必要はありません。
- マネージャーを全面的に信頼できないと、成立しない制度ですね。
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そのとおりです。もちろん、マネージャーに対する教育は徹底しています。人事部主導でEラーニングやラウンドテーブルの機会を設けて、メンバー評価の方法論を共有するようにしています。また、マネージャー1人当たりが担当するメンバーは5人程度として、無理な負担がかからないような設計になっています。
- マネージャーのモチベーションを高めるための仕組みはあるのでしょうか。
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エンゲージメントスコア(従業員満足度)ですね。年に一度、大規模な従業員意識調査をやるほか、小規模な調査を年2回行っています。その結果、組織とマネージャーごとのエンゲージメントスコアが明らかになります。その結果を受けてマネージャーには、次の調査でスコアを向上させるためにどのような取り組みをするかを宣誓してもらいます。自分たちがやっていることの結果がしっかりとわかるし、会社から期待されていることも実感できる仕組みです。
- 調査の内容は、具体的にどのようなものなのですか。
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「Leadership Communication」「Manager Effectiveness」「Strategy & Operations」「Enablement」「Growth & Development」「Inclusion & Ethics」「Engagement」の7つのカテゴリーで、30以上の設問が用意されています。そのそれぞれの設問に対し、メンバーが10点満点で評価していきます。毎年秋頃に調査を行い、マネージャーはその結果を受けてアクションを実行する。そうした流れです。
- スコアの傾向を教えていただけますか。
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非常に高いですね。過去7社で働いてきましたが、これほどエンゲージメントスコアが高い会社は初めてです。
- 満足度調査は記名でやるべきか無記名でやるべきか意見が分かれます。アドビではどちらを採用していますか?
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私たちは無記名でやっています。たとえおおよそ誰のコメントか想像できたとしても、それを基に個別にフィードバックをすることはありません。マネージャーがコメントの内容を踏まえてチーム全体に向けて自分の考えを説明することになります。弊社が特徴的なのは、マネージャーだけではなく、社長自身も、調査結果を踏まえた新しい方針を全社に対して表明することだと思います。トップにとってもマネジメントクラスにとっても、調査が自分事化されている、だから機能しているのだと思います。
- そうして、マネージャーの皆さんのマネジメント力が養われているのですね。
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弊社のマネージャーの意識はとても高いな、と実感することがありました。2021年4月には、新卒が3人入社したのですが、1カ月研修後の研修報告会で、それぞれが30分間の報告をすることになりました。その報告会に、約100人いるマネージャーのうち半数程度が参加しました。これは自由参加で義務ではありません。みんな忙しいはずなのに、しかも自分の直属のチームメンバーでもないのに─。いい意味で驚きました。「人をマネジメントする」ということに対して、本当に熱心な人が多いと感じています。
- 日本のレガシー企業からアドビに中途入社してきた人の中には、この制度になかなかフィットできない人もいるのではないでしょうか。
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管理型の人事制度を運用してきた人事担当者にとっては、最初は違和感があるかもしれませんね。なにしろ、フォーマットもテンプレートもない制度ですから、戸惑いはあるかもしれません。しかし、それ以外の人は問題なく馴染めると思います。人を信じて、皆で成長していこうということを目指していますから。実際、中途入社者から、やりにくいという声を聞いたことはありません。
メンバーにとっては、面倒な書類をつくる必要がなく、上司とのオープンなコミュニケーションができるという点で、はっきりしたメリットのある制度です。何より、評価に対する納得感が得られることが大きいと思います。私自身、前に働いていた会社で、仕事で大きな成果を出したのに、高い評価をもらえずに人事に直談判したことがありました。「目標管理制度は相対評価だから、上位レベルの人の割合は決まっている。だから仕方ない」というのが回答でした。頭で理屈はわかったとしても、気持ちは納得がいきませんよね。働いている方からすれば、頑張ったら評価してほしいというのが率直な希望のはずです。評価の配分というのは、仕事の成果の価値や従業員の成長とは別の話です。
それに対してCheck-inは、相対評価ではなく、基本的に絶対評価で透明性の高い仕組みです。加えて、四半期ごとのミーティングで目標をアップデートできるなどの柔軟性もあります。メンバーにとってもマネージャーにとっても非常に有益な制度と言っていいと思います。
- とはいえ、昇給の幅は相対的にならざるをえないですよね。それに対する納得感はどのようにして担保しているのですか。
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アドビは国によって収益が異なるので、それぞれの国の収益に応じて昇給率が毎年決められることになっています。その情報は従業員にも公開されていて、給与調整のイメージを一人ひとりが共有できます。その調整幅の中で全従業員の昇給が決まるので、期待値との大きなずれが発生することはあまりありません。もちろん、人によって昇給率を上回ることも下回ることもあります。そのそれぞれのケースについては、マネージャーに説明義務があります。その時に力を発揮するのが、オープンでインタラクティブ、透明性が高く継続的な1on1ミーティングです。
- 先ほど、エンゲージメントスコアが非常に高いというお話がありました。それもCheck-inの成果と考えられますか。
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アドビは従業員のキャリア開発に対して大きな投資をする会社なので、その点では従業員の満足度はもともと高い傾向にあります。それに加えて、Check-inによって、キャリアビジョンを上司と共有できたり、アドバイスをもらえたりすることで、いわゆる心理的安全性をもちながら働くことができていると考えられます。おっしゃるように、それがエンゲージメントスコアにあらわれていると思いますね。
- 杉本さん自身、マネージャーとして、メンバーとのコミュニケーションで気をつけていることはありますか。
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一つは、仕事に直結しない話もフランクに話すことです。以前は、メンバーのプライベートに踏み込んだ話をしてはいけないと考えていたのですが、アドビに来てからは、家族のことや趣味のことなど、何でも話すようにしています。それによってお互いの信頼関係が深まっていると感じますね。いろいろなことを分かち合える仲間という感覚があります。
もう一つは、一人ひとりのメンバーを尊重することです。正直に告白すると、私は以前、数字にこだわり、メンバーに細かく指示を出すマイクロマネージメント型のマネージャーでした。この会社に入って、そのスタイルが大きく変わりました。例えば、採用イベントのアイデアをメンバーが考える場合、以前だったら自分の経験則にもとづいた成功パターンを細かく伝えていました。でも今はそういうことは一切しません。一人ひとりの考えを尊重しながら、質問や相談にいつでも応える姿勢を見せて、上手にナビゲートしていく。そんなスタンスを大事にしています。
Check-inがあってもなくても、仕事の基盤になるのはコミュニケーションと信頼関係であり、マネージャーとメンバーが1on1の対話をするのは当たり前のこと──。私はこの会社に来てそう思うようになりました。会社の制度としての1on1というと、堅苦しいコミュニケーションを想起してしまいますが、重要なのは、雑談を含めた日常的な対話がいつでもできる関係をつくることです。それがマネージャーとメンバーの両者にとっての働きやすさにつながると考えています。
- 1on1コミュニケーションが大切であるという認識は多くの会社に広まっていますが、実行するのは難しいと考えているマネジメントクラスも多いように思います。
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それはおそらく、1on1を業務の進捗管理ミーティングのように捉えてしまっているからではないでしょうか。そうではなく、「いいことも悪いことも率直に話し合える双方向の対話の場」と考えるのがいいと思いますね。
- 現在は皆さんテレワーク環境で働いているのですか。
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ほぼ完全テレワークです。オフィス自体、昨年の3月中旬から完全クローズで、私ももう1年以上出社していません。原則として営業のお客さま訪問もストップしています。
- オンラインでのコミュニケーションに何か問題を感じていますか。
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もともとグローバルのミーティングをリモートでやっていたり、週何日かはテレワークができる仕組みがあったりしたので、とくに問題はありませんね。リアルでもオンラインでも、コミュニケーションの精度やスタイルは変わらないと思います。
- 今後、Check-inの内容が変わっていく可能性はあるのでしょうか。
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現在はデータを残していないので、その点は改善の余地があると思います。サクセッションプランなどを立てる上で、そこでの情報が参考になるケースがあるからです。しかし、それ以外の、例えば形式的な人事評価を加えるといったことはありえません。大切なのは、メンバーに納得感があり、マネージャーが適切にチームをリードできる仕組みです。その本質を変えてはならないと思っています。
- 最後に、人事担当者としての目標をお聞かせください。
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従業員一人ひとりが成長できる仕組みをより充実させていきたいと考えています。誰もが自分の働き方やキャリアに関する希望を表明することができて、それに対して最適な支援ソリューションを提供できる。そんな仕組みができればいいと思っています。仕事に関する意思決定をするのは一人ひとりの従業員ですが、その決定を支援するのはマネージャーや私たち人事担当者の仕事です。その役割をこれからもしっかり果たしていきたいですね。
- 本日はどうもありがとうございました。
マネージャーのモチベーションを高める方法とは
透明性が高く納得感のある制度
いいことも悪いことも率直に話し合える関係を
取材協力: 楠田祐(HRエグゼクティブコンソーシアム 代表)
取 材: 大島由起子(インフォテクノスコンサルティング(株))
T E X T : 二階堂尚
(2021年7月)