- 戦略的人事にITを活かす - 人材・組織システム研究室
厚生年金保険の徴収率を上げるために一部社会保険事務所で行われていた、厚生年金給与記録の不正減額の実態を知って、「目標」とは恐ろしい状態を引き起こしうるのものだ、と思いました。
実際に、徴収率100%を目指して社会保険事務所間での競争があり、会社の保険料支払いの負担を軽くして倒産を回避することもできるので、従業員に対する実際の支払給与を減額して記録していた、という現場職員の証言もありました。
そこでは、徴収率100%という自分たちの「目標」を達成するためには、数十年後、収入の道がなくなったときに受け取れるはずの年金の金額が、当然期待できる額よりはるかに少ない、という人たちを生み出しているということに、無関心だった、ということになります。
こうした状況にあきれ、義憤を感じ、なんと情けない集団なのだと口することは簡単ですが、もしかすると企業で従業員に与えられている「目標」も同じような間違いを起こす危険性をはらんでいるのではないか、とわが身を振り返ってしまいました。
厚生年金の徴収率100%を目指すこと自体は、法(ルール)に準拠していることであり、そのことによって企業に勤める人たちの年金が確保されるわけで、何ら問題があるとは思えません。
しかし、徴収の意味、徴収をしなかったときの影響について真摯に考えず、自分の身近な問題(自分の評価・報酬への影響、目の前で「倒産してしまいますよ」と訴える経営者)にのみ意識が囚われてしまうと、普通の人であっても、今回の不正減額のような状況に陥ってしまうことがあるのではないか―。
それは、案外、企業で各従業員が与えられる「目標」でも起こっていることなのではないか。気がつかれないのは、社会的影響が少ないからだけであって―。
そんな考えにとらわれてしまったので、ずいぶん前に読んだ『黒字浮上!最終指令 出向社長の奮斗の記録』猿谷雅治・著(ダイヤモンド社)を再度取り出して読んでみました。
この本は、初版発行が1991年という古い本ではありますが、目標管理(MBO)の実録書とされる本です。
この本については、このメールマガジンの第四回で詳しく紹介させていただいているので、詳細な内容は割愛しますが、簡単にあらすじを説明すれば、万年赤字の子会社に出向した社長が、設備投資など多額の金額を使う戦略・戦術を使うことは許されず、人員の増加も許されないという条件下で、会社を黒字化を目指す、という話です。
その本のなかで、まず目をひく言葉は、以下のものです。
「当社の目標による管理は完全に形骸化しています。死んでいます。だからやめます。みなさんは自分の目標カードを今日破ってください」
著者は、P.F.ドラッガーが『現代の経営』で提唱したMBO(Management By Objectives And Self-Control)の企業浸透を目指した人物であり、MBOの理解のために書かれた本ということで読み始めると、最初のところでいきなりこの言葉に出くわします。
そして、組織を活性化する目標は、各人の「心の中にいきている目標」であり、形式化したものは意味をなさないということが、物語を通じて直接・間接に伝えられます。
「心の中に生きる」といった一種文学的な言葉が使われたり、「悪人」がほとんど登場しないストーリーになっている、実話に基づいているとはいえ古い事例であるということから、2003年に新装版が出版された当時は、「現代経営」にはあまり役に立たないといった意見もあったようです。
しかし、今、「心の中に生きる目標」を各人が持つことの重要性は、改めて大きな意味を持っているのではないか、と感じました。
おそらく、ここで言われる「心の中に生きる」というのは、「内的動機付け」という言葉と重なる部分が多いものだろうと思います。
外からの強制的な動機付けが、「内的動機付け」をいかに阻害するのかについての興味深い話は、『人を伸ばす』E.L.デシ+R.フラスト・
著(新曜社)に詳しく(そして興味深く)書かれています。その話は別の機会で共有できればと。
いずれにしても。
社会保険事務所で減額不正をしてしまった職員にとって、徴収率100%という目標は、「心の中に生きる」ものではなかったでしょう。
また、成果主義の導入で失敗をした企業で各人が持っていた「目標」は、「心の中に生きて」いなかったのではないか。
正直なところ、ここで「心の中に生きる目標」という言葉をピックアップすると、「理想論を言っているな」と思われるのではないか、という不安はありました。
きれいごとに過ぎるよね、と。
ただ、今回このメールマガジンにこの話を書こうと背中を押したのは、「日経情報ストラテジー」(2008年12月号)の創刊200号記念 総力特集「感動現場」の作り方、という記事でした。
「日経情報ストラテジー」は、「経営革新にITを活かす」というキャッチフレーズを持つ、主に情報システムに関わる人向けの雑誌です。
そこでの特集が、最近耳にすることが多くなった「エンゲージメント経営」について、なんと54ページを割いて、大々的に特集しているのです。
「社員同士や職場との『心』の結びつきを強めることは、欧米企業では経営上の重要課題として認識され始めている。『エンゲージメント』という概念がそれだ。
・・<中略>・・いろいろな定義があるが、総括すれば社員が『この職場で仕事をしてよかった』と感動し、それをエネルギーの源泉にして、より高い目標を達成しようとする状態といえる」(P44)
そして、
・「讃え合いで『貢献感』を増幅する」
・「イベントで『連帯感』を生み出す」
・「『適合感』を高める場を作る」
といったカテゴリで、外資系企業も含む13社の取り組みをじっくり紹介しています。
この特集を読んでみて、「これって、『黒字浮上!最終指令』で出向した社長(筆者自身がモデル)が行った施策や、それを支える基本理念と同じことばかりじゃない?」と思ったのです。
結局はここに戻ってくるのかもしれない。
古くて新しい概念として、「心の中に生きる目標」という言葉を敢えて投げかけてみようと思った次第です。
どうしたら「心の中に生きる目標」を各従業員が持つことができるのか。
少し、そういう観点で仕事をしてみようと思っています。そこで、私の守備範囲であるITは何をサポートできるのか。
今回も話題が広がってしまいましたが、少しでも何かを感じていただけたとしたら、是非、『黒字浮上!最終指令』猿谷雅治・著(ダイヤモンド社)、日経情報ビジネス2008年12月号の特集を読んでみてください。
いつかどこかで意見の交換ができることを楽しみにしています。
『黒字浮上!最終指令 出向社長の奮斗の記録』猿谷雅治・著(ダイヤモンド社)
『人を伸ばす』E.L.デシ+R.フラスト・著(新曜社)
『フロー体験 喜びの現象学』M.チクセントミハイ・著(世界思想社)
「日経情報ストラテジー」2008年12月号
(2008年10月24日)