特別対談

第2回 急成長する企業が直面する課題に対して、人事部はどう応えるのか(前半)

第2回 急成長する企業が直面する課題に対して、人事部はどう応えるのか(前半)

甲田 修三氏
ソフトバンクモバイル株式会社/ソフトバンクBB株式会社/ソフトバンクテレコム株式会社 執行役員 人事総務統括 人事本部 本部長

北村 幸彦氏
楽天株式会社 人事部 部長

【ナビゲーター】
楠田祐(戦略的人材マネジメント研究所 代表)


甲田 修三(こうだ しゅうぞう)氏 プロフィール

甲田 修三 大学卒業後、1982年株式会社ベスト電器入社。
1987年株式会社日本ソフトバンク入社。営業8年、マーケティング部門4年、経営企画・子会社役員等を経て、2003年よりソフトバンクBB株式会社へ転籍。2004年4月より人事本部長。
2007年ソフトバンクモバイル株式会社兼務、2008年ソフトバンクテレコム株式会社兼務、現在に至る。

北村 幸彦(きたむら ゆきひこ)氏 プロフィール

北村 幸彦 1989年大学卒業後、株式会社イトーキに入社、人事部人事課に配属。 採用・人事・労務・教育などを担当し、1994年人事制度改定プロジェクトに参画。
1998年現ソニーイーエムシーエス株式会社に入社。人事労務を担当し、2003年よりソニー株式会社人事センター東アジア人事戦略部統括課長として、中国・インド・韓国等東アジア圏のトップクラスエンジニアの採用に従事。2004年にはソニーヒューマンキャピタル株式会社人材リソースセンター担当部長を兼務。2005年よりソニー株式会社人事センター採用部経験者・東アジア採用グループ統括課長。
2006年楽天株式会社に入社。人事部勤務(2010年より人事部長。現職)人事・労務・国際人事・ファシリティ管理を担当。


急速に拡大していくビジネス、それに伴って増えていく組織と人。更には、まったく異なった文化を持った企業との合併。そして、グローバル展開。急成長するベンチャー企業が直面し続ける課題に対して、人事はどう対応し、経営の要請に応えているのか。今回は、日本を代表するベンチャー企業2社の人事責任者にお越しいただき、具体的な取り組みについてお話を伺いました。

人事の経験がないところで、与えられた「3000人採用」がスタート

【楠田】 
本日は、日本を代表するベンチャー企業2社の人事部長にお越しいただきました。

ソフトバンクの甲田さんはベスト電機から、楽天の北村さんはソニーから、それぞれ歴史のある大企業から、ベンチャー企業に転職されたというご経験をお持ちです。まずは、どうしてそのような決断をされたのか、そのあたりからお伺いできますか?

【甲田】
新卒で入社したベスト電器では営業的な仕事をしていました。そこで4〜5年経った頃、もう少し視野の広い仕事に挑戦したいなと思い始めて、人材紹介会社に登録しました。ちょうどその頃、NECからPC9800など新しいコンピュータが出てきて、そちらの世界で何かやってみたいなという気持ちも芽生えているところでもありました。

そんなとき、本社のコンピュータ関係の仕事をしていた同期が、「ソフトバンクっていう面白い会社があるよ」と教えてくれたのです。そこで応募してみたら合格した、というのが入社の経緯です。当時は、まだ「日本ソフトバンク」といっていた頃で、社員は100〜150人くらいしかいませんでした。ただ、実は、正確な人数は覚えていないんです。当時は営業担当として入社しましたし、今何人かなどと考える暇もないくらい、毎日人が増えていましたから(笑)。

【楠田】
本当に初期の頃からいらっしゃるということですね。それにしても、大企業から、100人程度のできたての会社への転職、不安ではありませんでしたか?

【甲田】
実は、私は長男で、ゆくゆくは家業の跡を継ぐことになるだろうと考えていました。ですから、若いうちに自分のやってみたいと思うことに挑戦しようという気持ちが強かったのだと思います。

【楠田】
最初は営業だったということですが、いつ頃から人事に関わるようになったのですか?

【甲田】
人事部門に異動したのは、2004年の4月からです。

【楠田】
その頃は、社員は何人くらい?

【甲田】
1600名程度でした。

【楠田】
その頃はまだそれくらいの人数だったのですね。何故、人事に異動が決まったのですか?

【甲田】
2003年1月に、4つの会社を集める形でソフトバンクBBが設立されました。私はその統合プロジェクトに参加して、人事的な分野を担当しました。これが人事と関わった初めての経験でした。例えば、組織をどう作るかとか、組織を統合するとポジションの絶対数も減りますから、そこから外れた人たちをどう配置するかなどを考え、実行していきました。それが落ち着いた後は、人事関連からは離れ、2004年に起きてしまった情報漏えい事件の解決プロジェクトに携わることになります。ですから、自分が人事部門に異動になるというのは、宮内(現、ソフトバンク株式会社・取締役)から電話がかかってくるまでまったく考えていませんでした。そこで、「甲田、人事に行って、3000人の採用をしろ」と言われました。

【楠田】
3000人採用が話題になっていたときに人事に異動されたわけですね。

【甲田】
そうです。私は人事部の経験はまったくありませんでしたから、採用のプロセスのことなど何もわかりません。ですから、「ハイ、わかりました」と言ってしまった。あとから、4月から始めるなんてかなり遅れてのスタートだし、そもそも3000人という人数を採ることの大変さを痛感するわけですが(笑)。

【楠田】
それで、3000人の採用は成功したのですか?

【甲田】
2200人の採用まで決まったときに、日本テレコム(現ソフトバンクテレコム)の買収や、コールセンターの売却など、予定外の従業員増と、配属予定部署の統廃合などが起こって、結局そこで採用活動は中止しました。

【楠田】
それでも、2200人。基本的に、経営層を満足させる採用に成功したということですね。そこからはずっと人事ですか?

【甲田】
そうです。

人事も新しい考え方を取り入れて成果を出していく時代、人事を極めるために転職を決意

【楠田】
では、次に、北村さんの転職の経緯を教えてください。

【北村】
私は新卒で入社してから、ずっと人事畑を歩いています。その間、2回3社転職を経験しています。新卒で最初に入ったのは、イトーキというオフィス・事務機器の販売会社です。漠然と営業の仕事に就くのだろうと想像していましたが、配属されたのが人事部でした。配属された頃はちょうどバブル経済まっさかりの時期で、採用に苦労していました。新卒で入ったので、学生の思いも良くわかるだろうと新卒採用を担当することになりました。その後、給与社保事務担当、評価、異動、研修、組合対応など、企業人事のファンクションは一通り経験させていただきました。

人事で9年目に入ったとき、自分のキャリアの分岐点に立たされました。イトーキでキャリアアップしていくためには、一度は営業を経験しなければならないと当時の上司に諭されました。当時は、まだまだ、多くの部門を経験して上がっていくという、ジェネラルなキャリア形成が主流でしたから、人事のキャリアを極めるのか、会社内でのキャリア構築を取るのかの選択を迫られることになりました。

ちょうどその頃、高橋俊介氏(現・慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授)が著書のなかで、「コンピテンシー」について書かれているのを読んで衝撃を受けました。これからは人事制度に新しい考え方を取り入れて、会社の閉塞感を打破して、成果を出していくことが求められる時代がくると確信しました。人事にもっと関わっていきたい、営業に異動しなくてはならないのなら、会社を辞めようと決心しました。

転職を考えたときに、9年間人事をやっている間ずっと、「本社の人事には、現場のことはわからないだろう」と散々言われてきましたので、今度は現場の人事を経験したいと考えました。そして、ソニーの長野の製造事業所の人事への転職を決めたのです。

【楠田】
そこでは、主に勤労関連を?

【北村】
勤労を含めた人事に関わることは全てですね。製造現場の中でそうした仕事をしてみて、人事がビジネスの中のひとつのファンクションであるということを、身を以って感じることができました。

当時ソニーでは、それぞれの製造事業所が、経営方針を立てて、ある程度独立採算を目指すという方針がありましたので、常に自分たちの付加価値をどう上げていくのかということを考えていました。そこで、その事業所では、ただ「モノづくり」をしているだけではなく、エンジニアリングなど技術力を強化していこう、と考えていたのです。ただ、当時はバブル崩壊後の景気回復時期で、エンジニア不足が問題となり始めていましたから、優秀なエンジニアを採用するのは非常に難しく、なかなか採用目標を達成できなかった。そんな時、思いついたのが中国でした。

【楠田】
それは、いつぐらいのことですか?

【北村】
1999年くらいです。

【楠田】
そうすると、今のように中国の人材を活用しようなどと一般的に言われていない時期ですね。

【北村】
そうですね、かなり早かったと思います。その頃は、世の中で本格的に中国に工場を作り始めたような時期でした。当時、カンパニー人事に、後の上司になる方で元エンジニアという経歴をもった方がいて、よく話をさせていただいていましたが、その中で「中国の学生は非常に優秀だ。しかも数多くいる。都市環境も想像以上に開発が進んでいる」という話を伺い、「彼らに日本に来て働いてもらうのはどうだろう」というアイディアが出てきたのです。

さっそく上司に相談し、別件でお付き合いのあった商社系人材紹介会社の方に相談をして、一度上海に視察に出かけました。そこは想像以上の大都市で、しかも大学に行ってみたら、教育レベルが驚くほど高かった。そこで、まずは5人、そして30人の新卒エンジニアを採用しました。

【楠田】
採用方法は、どこかの企業をベンチマークして考えたのですか?

【北村】
いいえ、当時はそんなことをやっている企業はありませんでしたから、ゼロから、すべて自分たちで考えてやりました。はっきりいって、手探りです。ですから、問題がまったくなかったといったら嘘になります。しかし、総じて、「優秀なエンジニアがほしい」という現場の要望に人事が応えるという、いい形のプロジェクトだったと思います。

【楠田】
そのとき、本社の人事は何も言ってきませんでしたか?

【北村】
正直、30人採用したときには、一製造事業所がまったく新しい形で採用したわけですから、「何ていうことをしたんだ!」という感じでした(笑)。ただ、理解していただく方も居て、多くの方に助けられました。結果としては当時カンパニー人事でも中国新卒採用に動き出していたこともあり、ソニーとして継続してやっていこうということで、次年度からは本社の人事の活動として採用を進めていくことになりました。

文化のまったく異なる会社をまとめてシナジーを出していくために、「社名禁止」

【楠田】
まだ、楽天にまで辿りついていないですが(笑)、かなり濃いお話がうかがえたので、一旦甲田さんの人事における話を伺いたいと思います。甲田さんは、2004年に人事に異動されてからは、ずっと人事ですか?

【甲田】
そうです。今年で7年目になります。ただ、最初はソフトバンクBBの人事でしたが、その後、ソフトバンクモバイルと、ソフトバンクテレコムが入ってきて、今はその3社を見ています。

【楠田】
今、いわゆる「通信3社」で、従業員は何人ですか?

【甲田】
約1万5000人です。

【楠田】
「通信3社」と言われるように、3社でいながら、あたかも1つの会社のように動けるようになっていると聞いています。文化がまったく異なる3社をまとめていくのは、大変だったと思いますが。

【甲田】
そうですね。それまでそれぞれの企業に人事があったわけですから、その状態から、3社で1社のように動き、シナジーを出していくためには工夫が必要でした。まず、従業員同士が近い関係で仕事をしていくようになるために、3社の社員を物理的に汐留に集めました。そして、まずは人事部門を統合することにしたのです。

他人事ではなく、自分たちの問題として3社の組織をどう作っていくか、真剣な議論をした結果、同じ機能の組織は、会社が違ったとしても、バーチャルにワンヘッドで、一つの組織として仕事をする体制を作ろうということになりました。それと並行して、制度を変えていく。それが、一番スピーディーで確実に統合していくやり方だろうと。具体的には、会社を越えてクロスする出向関係を作っていきました。

そこで一番苦労したのは、やはり風土の違いでした。その壁を越えていくために、まず決めたのは、相手を会社名で呼ぶのは禁止、ということでした。

【楠田】
会社名で呼びあう、というのは?

【甲田】
例えば、「テレコムさんではそうかもしれませんが・・・」とか、「モバイルさんから見れば・・・」といった表現です。つまり、「ウチの会社ではこうでした」という話ではなく、「僕はこうした方がいいと思う」「私はこうしたい」という視点で話をしよう、ということです。所属の会社を代表するのではなく、主体を自分にしてほしいというメッセージです。

自分の出自にこだわって、対立関係になるのではなく、3社の中で一番いい仕組みを採用していこうと。まずは気持ちを白紙に戻して、純粋に考えて一番いいものを選んでいこうということを、1年間やり続けました。

【楠田】
では、会議、会議の連続でしたか?

【甲田】
いいえ、会議をやる必要がないんですよ。先ほど申し上げたように、クロスで出向関係を作りましたから。つまり、ソフトバンクBBの私がソフトバンクモバイルの人事を兼任する、逆にソフトバンクモバイルの人がソフトバンクBBの人事を兼任するという状態をたくさん作ったのです。そうすれば、嫌でも相手の仕事を一緒にやることになります。そうすることで、それぞれの会社の特徴を実体験として知ることになるわけです。人や情報が会社の中で縦に動くのではなくて、会社のボーダーを越えて斜めに動き始めます。ですから、会議で長々と説明する必要はなくて、自然にどうするべきかについてのコンセンサスができていく感じでした。

孫(正義氏)が言うところの、「交配」。「交配」することによって、化学反応や突然変異が起きて、新しいものが生み出されていくという考え方なのですが、その実践例の一つと言えるかもしれません。

人事での成功事例が出てきたところで、同様の動きを全社に広げていきました。

組織がものすごいスピードで変化している中で、人事は何ができるのか

【楠田】
風土の異なる企業をまとめるのはかなり困難な仕事ですが、さすがソフトバンクの人事、という感じです。では、北村さんが楽天に移られるあたりのお話を聞かせてください。

【北村】
私が現場や海外の人事を通じていろいろな経験を積み上げていた頃、ソニーの出井会長(当時)が、「インターネットは巨大な隕石である」といったメッセージを発信していました。しかし、多くの人にとっては実感としてよくわからなかったのではないかなと思います。その頃のソニーもいろんなチャレンジを繰り返していました。

また、2005年頃というのは、トップが交代するなど会社も大きく変化していて、私自身もそのタイミングで自身のキャリアを考えるようになったのです。少し前から、「楽天」という会社がインターネットの世界で非常に成功しているということは聞いていて、気になっていたのですが、いざ自分のキャリアを考えたときに、インターネットビジネスというハードウエアビジネスとは真反対のビジネス領域で仕事をすることに対して興味がわきました。しかも、イトーキは120年、ソニーでも創業60年を超える企業ですから、人事としてベンチャー企業を経験していない。人事としてのキャリアを広げるために絶好の環境だと思い、楽天への転職に踏み切りました。

【楠田】
業種も歴史の長さも、規模も違う企業に移って戸惑いはなかったですか?

【北村】
何よりまず、社員の方がみな若いことに驚きました(笑)。2006年の8月1日に初めて出社した日のことは今もよく覚えています。当時楽天の本社は六本木ヒルズにあって、楽天のオフィス階に行くエレベータを待っていたのですが、周りはみんな20代という感じです。そのなかにぽつんと40代の私がいて、こんなところに来てしまってよかったのかなと。当時の平均年齢は30歳を切っていたと思います。実際、皆若いからエネルギーもあるしスピードもあります。想像以上にこれまでの会社とは違うな、と思いました。

【楠田】
入社されてから今までで、どれくらい従業員が増えたのですか?

【北村】
私が入社したときには社員数1400人程度でした。今は連結で6000人以上。そして、今年からは本格的に海外に進出し、外国籍の方の採用も積極的に行っています。

人の数的な増加も大変ではあるのですが、それ以上にチャレンジングなのは、M&Aで文化・風土の違う会社がどんどんグループに参入してくること、そして毎月中途採用者が入社され、多いときには100人くらい入社することがある状況だと思います。組織がものすごいスピードで変化している中で、人事は何ができるのか常に考えることが求められる毎日です。

社内で、「入社して4年目になりました」と言ったら、古いですねと言われました。それくらい組織がどんどん成長していっているということなのでしょう。

<後半の内容>

「会社の枠を取り払うために、3者合同採用に踏み切る」
「アクセルを踏み込むときも、ブレーキを踏む時も、カーブを曲がるときもスピード感」
「国籍も文化もタイムゾーンも異なる人をまとめるために行動規範を徹底的に浸透」
「球団所有企業が、活性化のために行っている様々な活動」
「人事だからこそビジネスの理解を、玉乗りのようなバランス感覚を身につけて」

後編はこちらからご覧いただけます。

(2010年6月/構成・文:大島由起子)

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